ピアノレッスン第16回|そこまで自分が「飢えていた」とはじめて気づく
ええと、ワシがこのブログを書いてることは、もちろんピアノの先生に話しておりませんでして。
ゆえに、先生がおっしゃることはやっぱり無断で公表できないので、バッサリ割愛させてもらいますが。
いやまあ、いつかはバレると思うよ、ブログのこと。
だいたいこういう属性のババアって、そうおらへんでしょ?
うん、だからいずれバレると思う。
で、ずっとまえから「言い訳」は考えてある。
言い訳とかヘリクツを訴えてみて、土下座とかもして、でもまあ、そのあとどうされるのかは先生がお決めになることでございます。
そんなリスクがあってまで、なんでブログやるのっ?!
う~ん、自分が感動したことをどうしても言いたくなるんだよなあ。
で、ソレを聞いてくれるヒトが、身近にだれもいないからだよな。
そう、寂しいから。
ホント、ひとりって寂しい。
ずっと長いあいだ「自分がすっごく寂しい」ってこと、自覚できなかったけど、このごろは「ああ、そんなにも寂しいんだな」ってすなおにわかるようになってきた。
だけど、その「寂しさ」というのは、必ずしも「人付き合いをしたい」というだけではないんだ。
「自分が本当に欲しかったモノに触れることができなかった」という「寂しさ」もすごく強い。
さて、母指CM関節症になってしまったので、この一週間の練習時間は激減して、平均1時間35分だけだった。
▼「親指ヌキ」の指使いで持っていったインベンション7番。
突っかえ突っかえ大汗かきながら一度弾き終わったら、
先生「なかなか興味深いですね。むしろいいですよ。そもそもバッハの時代は、親指をくぐらせる指使いはなかったんです」と言われて、実演された。
へええ……なんか唖然とした。
あ、いま思い出したけど、同じ音で「指変え」を多用するのはオルガンだったよね。音をつなげるためにそうするって、どこかで読んだことがある。
で、今日弾いたのはこの曲を2回だけ。
あとはずっとお話をうかがった。
手の故障についても、どういうケースがあるかとてもくわしく話していただいたし、ほかにもピアノにまつわる話、それから私の入試についてもいろいろと。
いつもそうなんだけど、先生のお話を聴いていると、まず湧いてくるのが「罪悪感」っス。
え? ワシなんかがこんな話聞いてエエのっ?!って思うて、ぶわーっと罪悪感に襲われる。
今日も毎度おなじみの罪悪感がシャワーのように降ってきたけど、いや待て、落ち着け。そのシャワーを浴びてるオノレを第三者の視点から観察せよ。
と、心理学セミナーで教わったテクニックを思い出して、懸命に罪悪感を乾かす。成仏させる。ふう。
そのあとは少し落ち着いて聞けたかな?
いや、落ち着いてないわ。
むさぼるように聴いてたわ。いくらでも、何時間でも何十時間でも聴いていたかったわ、音楽の話を。
それでようやくわかった。
ワシは、そんなにも「音楽について飢えていた」んだねって。
13才でピアノをやめたとき、そうなんだ、ホントはすごく欲しかったのに「封印」しちゃったんだなって。
でも、いまはもう「解禁」していいんだね。
先生が差し出してくれる「音楽の悦び」をそのまま受け取っていいんだね。
帰りに高速走りながら、やっぱり泣けてしかたがなかった。
クルマ、便利だね。泣こうがわめこうが笑おうが自由にできる。
そう思ったら、こんどは無性に楽しくなった。うれしくなった。
だってこんなにすばらしい先生に出会えたから。
生まれてきてよかったと心底思った。