「会社が」私をクビにしたのではなく、「私が」会社にクビにするように仕向けた

ひさしぶりに「自分軸」のおハナシ。「軸」がドコにありまっか?ってことっス。

オノレが「他人軸」になってるか「自分軸」になってるか、見分けるのはカンタンで、要するに「相手の言うことややることによって、自分の気もちが翻弄される」んだったら、それは「他人軸になってるよね」ってなる。

相手さんが「〇〇してくれたら」→しあわせ~、でも「××されると」→不孝のドン底、みたいに、相手の言動でオノレの幸不幸が決まってしまうときは、「ああ、相手に軸渡してるよね。自分で自分の人生を生きてないよね。だって、相手の態度しだいだもんね」ってことで「他人軸」決定。

まあ、ふつうだれかに「ホメられたら」→しあわせ、「ケナされたら」→なんやねんクソッ、って思うだろうから、カウンセラー先生方が言われる理想的な「自分軸」は非常にむずかしいけど、でも、めざす方向は「他人になんと言われようが気にならない。自分の価値は自分で認めている」だよね。



ピアノブログで、ご自分の演奏を公開しているヒトのなかでも、「ココはすてきに弾けた」とかちゃんと書いているのとか読むと、おお!自己肯定感高いなあ、自分軸だなあって感心する。

「自分が自分の味方でいる」というのはとても大切。「自分で自分をホメていない」と、他人にホメてもらいたくなる。自分をじゅうぶんホメて認めていたら、他人の評価はいらなくなる。

で、「自分軸」で生きていたら、主語が「私」になるという。

カウンセラーN先生が年がら年中言ってるけど、「ダンナに浮気された、ではなく、『私が』ダンナに浮気させたんです。会社がクビにした、ではなく、『私が』会社にクビにさせたんです」。そう得心できることが「自分軸で生きる」ということなのだ。

ふうん、そう言えばワシ「クビになったなった」って騒いでおったけど、ちがった。「ワシが」会社にクビにするように仕向けたんだねっ!
よくよく考えてみたが、う~ん、どうやらココロの深い部分が「おまえ、一回クビになったほうが成長するで」と言うておる。「ちったあ、ドツかれたほうがええで。目ェ覚ましいや」ってことらしい。

なぜだろう?



いや、わかってきたわ。

ワシ、ナマイキすぎたわ。エラそうやったわ。仕事のしかたとか見下してるとこあったわ。先輩さんとかバカにしとったわ。

たとえば、パソコンで単語登録ってだれもやってないのとかあきれたりしてた。単語登録、知ってるヒトはふつうに使ってると思う。「ホゲフガ商店」を「ほし」という入力だけで変換できるようにするヤツだ。

ココの会社ではだれもしていない。長い専門用語や顧客名も毎回すべての文字を入力していた。まちがいも生じる。ソレを見ていてワシは「ああ、単語登録ぐらいやっときゃええのに」と思ってた。それはねえ、つまり「バカにしてた」んだよね。うん、そう。言い訳できない。やっぱりバカにしてた。

「謙虚」からはほど遠い姿勢だった。長年、そういう入力のしかたでがんばってきた先輩さんたちの苦労をまったく理解していなかった。コトは単語登録にかぎらず、いろんな面でワシはよく「批判」していた。口に出さずとも「ムダだな」とか「もっとカンタンにできるのにな」と思ってた。

「そういう相手を『ジャッジ』する姿勢、そりゃ相手を否定することやで」「そういうのをぜんぶあらためたほうがええ」と、ワシ自身のココロの奥がそう言うとる。

はい、そうでした。「ジャッジ」=「否定」ってさんざん心理学で勉強してきました。だのにっ! ワシは入ったばかりの会社でジャッジばっかりやってきました。そのうえ、自分ならそうするのにとエラそうに思っとりました。

まあ、その「自分ならデキる」と思うこと自体、それは「劣等感のウラ返し」なんだけどね。優劣がアタマにのぼっているうちは、まーだまだ自己肯定感が低い証拠っス。

それでね、結果的にクビになってやっぱりよかった。こういうことに気づけたから。

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