「働きたくない」とさんざんグチをこぼしたあとに見つかった宝物

せっかくの日曜日なのに、また微熱が出てしんどくて、昼過ぎまでウダウダ寝ていた。どう考えても働くのがイヤなのだが、先日大塚あやこさんの個人セッションを受けてしばらくしてから、ほんの少しイヤさ加減がマシになったかな。

いろんな意味で「あきらめた」。たまたま「毎日働かないと生きていけない世界」に生まれちゃったからしょうがないかーってちょびっと思えてきた。来世は「毎日遊べる世界」に生まれ直したい。

そういえば、4月のカウンセラー養成講座が終わったあと、運営事務局のほうで別室にセミナールームを予約してくれていて、その場所で希望者だけトレーニングをやった。私も含めて5人でカウンセリングの自主トレをした。遠方からの参加は私だけだったので、ほかのヒトが「春子さんが、カウンセラー役と相談者役を1回ずつできるようにしよう」と気を使ってくれた。

ありがたく両方ともやらせてもらったけど、私が相談者役のとき、おもくそグチをこぼしてしまった。いつものことだが「働くのがイヤでー、もー、ほんとパートすぐにでもやめたくてー、毎朝発狂しそーでー」とか延々しゃべり倒した。


それにしても、悩みって尽きないな。てか、欲ばりなだけか。だって、長年の悩みは「手が痛くてピアノが弾けないこと」でさ、もうそれが一大事で、去年3月にも大塚あやこさんのセッション受けて、でも結果的にいまは痛くても毎日弾いてどうってことない状態になっている。かなり軽減している。

去年、大塚あやこさん「それは病気じゃありません。お母さんの呪いです」って断言して、セラピーを施してくれた。そして「次に出会うピアノの先生は必ずいい先生ですよ」とも言ってくれて、本当にそのとおりだった。

で、去年4月からピアノのレッスンを44年ぶりに再開して、それ以降はピアノの先生が手厚いレッスンをしてくれるから、ピアノがどんどん楽しくなっていまに至る。これ、よく考えたらものすごい変化なんだけど、ああ、けっこう「当たり前」になっちゃってるなあ。先生は、痛くならず負担のかからない弾きかたをつねに教えてくれているのに、なんかそれも当然みたいに思っている。

んで、こんどは「働きたくねーよー」って文句垂れてる。ピアノ弾けるようになったんだからそれでいいじゃないか?とアタマでは思うけど、イヤなもんはイヤでまたダダをこねている。


話をモトに戻すと、4月講座のあとの自主トレのとき、そういう具合にグチを垂れ流していたわけなのだが、あれはふしぎなもんでね、カウンセラー役のヒトが誠実に傾聴してくれると、ふと「降りてくるモノ」があるんだよね。

そのときカウンセラー役をしてくれた女性は、もうすでに去年1年間養成講座を受講済みのヒトだった。熱心な彼女は、今年ももう1年間同じ講座を受講している。熱心といってもバリバリ勉強しているそぶりはまったくなくて、ひっそり控えめに寄り添ってくれるような雰囲気のヒトだ。

そして私の波長にいつの間にかすぅーっと合わせてくれる。そうすると、自分でも思いがけない話をつい打ち明けてしまった。心理学では「言える=癒える」とよくいわれているが、たしかにね、ホント「傷が癒える」ような気がした。

そうしたら、そのあとしばらくして、なぜかふと「働くことをこんなにイヤがっているけど、いや待てよ、そういう仕事をできること自体、それは才能じゃないか?」と思い浮かんだ。どういう内容の仕事であっても、とにかく「できている」。他人から評価されていないけど、でもそれでちゃんとお金をもらっている。

「そうできる」ということを、それこそ「当たり前」と思っちゃいけないな。と感じた瞬間、涙が出た。なんだか「与えてもらった才能」に気がつかなかったことに申し訳なくて。もっといろんなことを大切にしたいなと思った。

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