お嫁さんになりたい
ああそうだ、すなおになろう。
いったいいつからスネてたんだっけ?
はっきり覚えているのは小学2年生のとき。怒り狂った母ちゃんに突き飛ばされて、柱に激突して後頭部が切れ大量の血が噴き出した。病院へ連れて行こうとする母ちゃんの手を振り払って「いや、行かないっ!」と私はわあわあ泣きながら拒否した。
てめえがケガさせたのにだれが行くもんかっ! いやまあ、結局行ったけど。終始無言で私を見ようとしない母ちゃんに連れられて、ちっせえ外科医院で数針縫ってもらった。ほれ見ろ、なんかいい気味だ。
「罪悪感」なんてことばを知ったのは何十年もあとのことだけど、私はいつもだれかに罪悪感を抱かせて、ほれほれ、ヤな気分だろ、てめえが悪いからだよ、ざまあみろっつー復讐を仕掛けていた。
私を助けてくれようとするひとの手を払いのけるのも、たいへん熟達した。そりゃもう反射的にピシャッ!と食らわせる。ここぞ!というタイミングでバシッとグサッと突き刺す。もらったお金をその場でビリビリ破り捨てたこともあった。
そんなときの私は、万能感に満ちあふれていた。そうら、私はなんだってできるんだよ。だれもマネできないだろ? でも私にはできるさ。なんだったら、そう、ほんとにグサッてのもやれるよ。嗤いながら確実に急所をはずさずできるよ。私にできないことはないんだよ。
でも、ほんとにグサッとナイフを突き立てていたのは、私自身の心だった。自分で自分を切り刻んでいた。「相手」なんて実在しない。私は、私だけに向かって、私をののしり、私をあざ笑い、私をめった打ちにして、私の息の根を止めようとしていた。
ふと、大塚あやこさんの個人セッションを思い出した。今年4月に鎌倉のセッションサロン/淨音堂(きよねどう)を訪れた。冷たい雨が降っていた。
●大塚あやこさんの個人セッション|その1 母方の「失われた女性たち」とは?
●大塚あやこさんの個人セッション|その2 4才の私が背負っていたもの
あやさん(大塚あやこさん)に言われるがままに、私は部屋のなかにイスを置いていった。父のイス、母のイス、父方家系のイス、母方家系S家のイス、S家から失われた女性たちの座布団、そして4才の私は部屋のうんと片隅に押し込められていた。
長時間のセッションの終盤、あやさんが「4才の私」を見るようにうながした。
あやさん「ほら、あんなに全身びしょぬれになって水風呂に浸かってるみたいになってるのよ。あの子、どうするの?」
そのとき、私には「4才の女の子」がぼんやり見えた。その子は、目鼻立ちが醜くゆがんでいた。目には眼球がなく穴が開いているみたいだった。まるで骸骨の目のようだった。そんな奇怪な顔をした女の子が、イスの上でぐんにゃりしていた。手足の向きもおかしかった。骨折して折れ曲がっているように見えた。
そう、いま気がついたのだが、それはまるで死体のようだった。家系レベルの想念によって、その子は死体にならざるをえなかったのだ。
あの子、どうするの?
いまの私なら、助けてあげられるかもしれない。まず抱き上げよう。そして濡れた服を脱がせて、あったかいお風呂に入れてあげよう。それでも動きそうにない。じゃ、しょうがないからそのグデグデのお人形みたいなその子を拭いてあげて、ふわふわの布団に寝かせてあげよう。おかゆでも食べさせてあげよう。
そうやって黙々と世話をしていたら、いつかきっと、その子はぱっちり目を開けるだろう。起き上がれるだろう。髪の毛、伸ばしたかったの? じゃあ伸ばそうね。三つ編みもしてあげるよ。ワンピースを着たかったの? じゃあ買ってあげるよ。着替えようね。ほら、かわいくなった。赤いランドセルも買ってあげるよ。
でね、春子ちゃんは大きくなったらなにになりたいの?
ああそう、お嫁さんになりたいのね。そうなんだ。きっとなれるよ。だいじょうぶだよ。