若いころ、ほんとはどうしたかったのか?|結婚問題

昨日の記事「お嫁さんになりたい」って、エラくこっぱずかしいタイトルじゃのう。

じつは「お嫁さん願望」なんて微塵も察知できていなくて、ものすげー深い部分に隠しつづけていたようだ。「女性性」もおもくそ禁止していたし、そんなのぜんぶいっしょくたに「私の人生ではありえへん。厳禁。生涯フタ開けるな」って領域に沈めていた。

まあ、ちょっと前から「結婚しているひと」はすごくうらやましかった。とくに「ビリーフリセット・リーダーズ講座」の受講生さんからダンナさんのお話とか漏れ聞くと超うらやましい。

なので「結婚」そのものがいいなあと勝手に思っていた。そのうち私に対して、婚活をめっちゃ強力に迫るかたもおられて、でもそう言われるとすごくうれしくて、うん、そんなふうに応援してもらいたかったのがホンネだった。


けれども、昨日つらつら記事を書いていたら、最後に「お嫁さん」が出てきて仰天したわ。「結婚」はともかく「お嫁さん」って、なんとまた昭和チックだねえ。しかし、昭和37年生まれの私だと、小学生ぐらいのときの夢って「女の子は将来お嫁さん」でもかまわなかった。

で、ひたすら「自分のホンネ」を掘り返してみると、やっぱりその筋は否定できない。だからね、かなり小さいころから「お嫁さん願望」があったんだよね。育った時代がそういうころだし。

あと「働くのがものすごくイヤ」というのも、そこらへんが絡んでいる。なんとなく「バリバリ働くのは男の役割」だと思っている。そういう男性に養ってもらいたい。これ、なさけないけどホンネだよなあ。

あ、でもなさけないなんて思わなくてもいいかもね。多種多様の人間がいるんだから「還暦の嫁さんでかめへん」ってひともおるかもね。


さて「昭和の結婚のお手本」みたいなひとを、かつてよく知っていた。むかし会社で事務をしてたころ、すぐ上の上司のひとがそうだった。昭和二十年代生まれのおっちゃんで、そんな当時はみんな田舎から集団就職する。親元離れて会社の寮に入る。先輩と二人部屋で小さくなって生活する。

結婚相手は会社のなかで探す。私の周りのひとたちはほぼ全員社内結婚だった。結婚したら寮を出て社宅に入る。それがあまりにも当たり前の会社だった。

上司のおっちゃんは愛妻家だった。年がら年中「嫁」の話をしていた。嫁をパートで働かすなんて男の沽券にかかわると言うとった。嫁にはいつもきれいでいてもらいたいと言ってた。奥さんは毎朝早起きしてちゃんと化粧して、ダンナさんが出勤するときは、玄関から外に出て、ダンナさんが角を曲がるまでじっと見送る。

おっちゃんはウチに帰ると、嫁さんの話を聞くという。「ずっとウチにおるから聞いたらんとな。半分ぐらいしか聞いとらんけど聞くフリせんとな」
休みの日は嫁さんを遊びに連れて行ってあげる。休日の夜、嫁さんに「今日も楽しかったわ」って言ってもらうとめっちゃうれしいらしい。

毎月嫁さんの実家にも遊びに行くし、嫁さんの両親兄弟も自分とこに泊まりに来たり、なんかずっとそういうのがおもしろくて楽しいらしい。という話ばかりさんざん聞いてきたので、そうだねえ、「平和な結婚」ってこんな感じなんだってイメージができちゃった。


おっちゃんは私にもやさしくて「春子さんもええひとできるで。だいじょうぶや」と言うてくれていたけど、私は「いや、そんな気ぜんぜんありません」とガンコに言い張った。その会社に入社した高卒同期の子は20人ほどおったけど、みんな順調に結婚して辞めていった。それがまた当たり前だった。

三十代に入ってしばらくしたら、同期はほとんど辞めて、私ともうひとりだけしか残っていなかった。そのころ私は、本当はどうしたかったんだろう?

さあさあ、すなおに考えてみようってやったら、まあやっぱりふつうに恋愛して結婚したかったなあ。だのに、スネまくってるからなにひとつ出会いがないんだよね。そっち方面シャッター降ろしているからみごとになんにもない。

ほんとのほんとは「お嫁さん」になりたかったのに、ぜんぜん気がつかなかった。

ずっとわからないまま来てしまって、でも「ビリーフリセット・リーダーズ講座」でフタを開けたら「お嫁さん」が出てきたわ、いまごろ。ふう。

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