ついうっかり「穴埋め」を頼むところだった|Aさんとお食事に行ってきた その2

そもそもなぜこれから「傾聴モード」に入るのか?

その理由は、「そのひとに自由でいい気分になってもらい、その結果そのひとが自分の心の深い部分につながることができて、そのひとの本当の魅力を出せるようにする」ためである。つまり「本来そのひとは、どういう魅力を備えているのか?」を垣間見たいからだ。

もともと「傾聴」はずっと前からちゃんと習いたかった。でも、その根底にあるのは「自分の話を聴いてほしい」という強い願望だ。まあ、むかしはそんなことに気づけなかったが、さすがにいまは「ああ、投影だよね。『自分が聴いてほしい』というのがウラ返って『ひとの話を聴きたい』になっとるね。ほうほう」とわかる。

しかしウラでもオモテでも「強い念」がこもっているのはたしかで、「ビリーフリセット・リーダーズ講座」でいの一番に習ったときから失敗しつつも練習するのは楽しかった。


とくに、講座の最後のほうでやった「ミッションのタネ探し」の傾聴なんか、そのひとの好きなことや夢中になったことの話はすごく興味深くて、特定のキーワードが何度もあらわれる現象とかがおもしろいし、ああいう傾聴はこれからもいろんなひとにやらせてもらいたい。

だから、助手席に座ってしばらく深い呼吸をこころがけ、クルマのシートの心地よい感覚などを味わったのちは、よし、しっかり傾聴しようと準備万端だった。

しかし、Aさん(推定40才の男性)はさりげなく気を使ってくれるいいひとだった。「なに食べたいですか?」
私「なに食べたいか、ですね」
Aさん「でも春子さん、あんまり食べないですよね」
私「よくおわかりですね」 ほんま、ようわかっとるわ、食に関心のうすい私を。

Aさん「寒いからあったかいモンにしましょか? うどん? ラーメン? どっちがいいですか?」
せっかくそう言ってくれているので、私はすなおに「じゃあ、おうどんでお願いします」と答えた。


さて、Aさんは非常に運転がうまかった。まあ、そもそも「スタンダードな運転」ってのがようわからんのだが、狭い道でもかまわずシャーッと突っ込んでいって、緩急つけてビャーッと走り抜ける。

すれ違いができない箇所のある道を、私ならぜったい通らない細い道だが、近道なのでAさんは悠々と対向車の出方を読みつつ豪快に走りつづける。いやあ、さすが男のひとやわ、かっこええわと感心した。

それに、ふつうの方々って運転しながら同時にいろんなことができるんだよね。それは、こないだ先輩パートFさんの運転でもそうだった。対して私は、いつまでたっても教習所で習ったとおりの運転しかできない。片手ハンドルなんてしたことない。怖くて不可能。

さて、ついうっかりAさんの運転に気を取られてしまったが、いちおうしっかり傾聴していた。Aさんはそこそこご自分から話すひとなのでラクだった。テレビに関する話題だったが、あいづちと伝え返しをしているだけでも十分だいじょうぶだった。


私のなかで自然に浮かんだ疑問は「ちょっとお尋ねしていいですか?」と前置きしてから質問した。Aさんは「そういえば春子さんテレビ見ないんでしたね」と言って、ていねいに説明してくれた。

たぶんわりとうまく聴けていたはずなのだが、ふと危機が訪れた。

それは、目の前にあるマンションが近づいてきたからだった。そのマンションとは、私が前の前に入居していたマンションだった。

しかもちょうどそのとき赤信号でクルマは停車した。おりしもAさんは黙っていた。どーんと真正面にマンションが存在しているというシチュエーション。


このとき私のなかでは「前にこのマンションに住んでいたんですっ!」と話したい欲望がふくれあがっていた。うわあっ! どうしよう?! しゃべりたくてたまらんわっ! なんなんだっ?! この強烈な欲求はどこから湧いてくるんだっ?!

しかし、私はすんでのところでしゃべらずにガマンした。いまは傾聴しているのだからという意識でなんとか切り抜けた。すっかり硬くなったからだをゆるめるように少し動かし、ふたたびAさんが話しはじめるのをじっと待った。

けれども沈黙がしばらくつづいた。私は浅く息をしながら、もしかするとAさんはなにかを感じ取っているのかもしれないと思った。

ひとがふたりでいるだけで、たぶん「潜在意識下での交流」も生じているのだろうな、ふしぎだなあと思ったころに、ようやくAさんが話しはじめた。私はほっとして傾聴をつづけた。


いま思い返すと、あのとき私がマンションの話をしなかったのは、じつに正しい選択だった。

なぜなら、そのマンションには「私の穴」があまりにも多くへばりついていたからである。「穴」とは「屈託」と言ってもいいかもしれない。その「穴」の奥底にはなにかしらの「傷」がうずいていた。

●「穴のお話」の詳細は堀江さなえさんのブログをどうぞ → こころの穴を誰が埋めるのか問題1|ことほぎ

そのマンションに住んでいたころは、まだいろんなことがうまくいかなかった。電子ピアノを弾くと手が痛くなるので、バイオリンならどうかとやりはじめ、音出し可のマンションを探して引っ越した先がそのマンションだった。


某芸術大学の近くだから、キャンパスにも遊びに行っていた。ピアノはダメでもバイオリンならいけるかと練習していた。でも、数ヵ月で手首に激痛が生じてバイオリンもダメになった。

ピアノもバイオリンもダメになってもうどうしたらいいかわからなくなっていた。何の楽器も弾けないのに音出し可のマンションに住んでる意味ないよねとむなしかった。

でも、妹が泊まりにきてくれたマンションでもあった。泥酔した妹を引きずりながら帰った夜もあった。

けどさ、そんなマンションの話、Aさんにはなんにも関係ないよね。いや、マンションの話じゃない。「私の穴」である。私はその「穴埋め」をあろうことか、Aさんに頼もうとしていたのである。


そう、私はまだ「自分で自分の穴を埋める」ということができていなかったのだ。そして、スキあらば「他人に埋めてもらおう」とその機会を虎視眈々とねらっていた。

しかし、私は今日はっきり学ぶことができた。
なるほど、「他人に穴を埋めてもらいたいとき」ってあれほど突き動かされるような気分になるんだね。あんな衝動に襲われるんだ。

そしてそれは「ものすごく話を聴いてもらいたい」というカタチで噴出するんだとよくわかった。

ビリーフリセット・リーダーズ講座」を受講していなかったら、そして堀江さなえさんにお会いしていなかったら、たぶんなにも自覚せずに「前にここのマンションに住んでいました」と私は当たり前のように話していただろう。


そして、自分の不平不満をちらつかせながら住んでいた当時の話をウダウダつづけていただろう。

けれども、一見ただの話に見せかけながらも、じつはそれって「穴埋め強制労働」をさせようとしているのである。そんなことをすれば、どんな相手であれ当然「妙に重たくうっとうしいめんどくさい気分」になるはずだ。

「ただ思い出した話」と自分ではなんとも思っていないが、いやいや、「ものすごく言いたいこと」ってのは「それ、もしかして『穴』ちゃうか?」と疑ったほうがいい。そんなに言いたいことって「なにか屈託がある」はずだ。

それは不用意に口にしないほうが賢明だ。とくに、これから大切にしたいと思っている時間には。

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