「愛の定義」、そこまでたどりつけるのか?

カウンセラー先生のブログで、「愛するとは? 信じるとは?」について書かれていたが、そのあまりに高いレベルにひるんでしまった。

その意味は、相手のことを丸ごと受け入れ、そして、そのあらゆる行動を支持してあげること。
彼があなたを傷つける行動を選択したとしても、それが彼の選んだことだから、と受け入れてあげられること。

先生のブログは、読者さんからの相談に答えるというQ&A形式で書かれており、今回は、独身女性からの質問で「彼氏が、自分になにも言わずに、べつの女性と結婚して早々に子どもも産まれていて……」という内容に回答したもの。

「その人を好きで、その人を信じるのであれば、そういう行動をする彼のことも好きで、信じられると思うのです」とも書かれていて、久々にうなってしまった。もちろん、そう思えるような境地に達するためには、とびきり自己肯定感を高めておかないといけない。まずは、自分を愛していなければそんなステージにはたどりつけない。

ふと思ったけど、親が子に対する場合を考えると、もっとハードルが高くなるかもしれない。たとえば「子どもが自分自身を傷つける行動を選択したとしても、それが子どもの選んだことだから、と受け入れてあげられる」親は、なかなかいないんじゃないか?

それでも、親子であれ、パートナーであれ、最後にはそういう境地になれるのが「愛」なんだ。そこでは「自分は無」になっている。自分はなくて、ただ愛だけが存在している。

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