それでも私は母を「信頼」しよう

遠方の歯医者へ2回目の治療を受けに行く。
ここの歯科はもうずっとむかしから通っていて、顔なじみのスタッフさんに治療台へ案内された。

スタッフさんはにっこりして「そうそう、お母さまが最近治療に来ていますよ」

それを耳にした瞬間、私は「ああ、母はまだ自力で歯医者へ行くことができるんだ」と感動した。
そして思わず「元気でしたか?」とたずねてしまった。

考えてみれば、じつに珍妙な質問で、娘が歯科のスタッフさんに、自分の母親の安否を訊くなんてありえないよな。
けれども、ずっと長いあいだ母に会うことを避けていたので、いま母がどうしているのかなにも知らなかった。

スタッフさんは「はい、お元気ですよ。だいぶんやせておられましたけど」
そして「最近会っていないのですか?」という。

最近どころか、最後にいつ会ったのかすらすぐに思い出せない。父が亡くなるよりずっとまえだ。
私は「はい、ずっと会っていませんので。ケンカして断絶状態なんです」と正直に答えた。
そんなヘンな答えだというのに、スタッフさんは「遠いからなかなか会えないですよね」と言ってくれた。

そのまま治療に突入して、麻酔を打たれて、ガーガーゴーゴー奥歯を削られる。
私は、スタッフさんが言った「だいぶんやせていた」ということばがショックだった。

そうなんだ、かわいそうに。
すると、両目から涙がドバッとあふれてきたが、さいわい顔のうえにタオルをかけてくれていたので、涙が流れるままにまかせた。

母はいま何才だろう? 計算するとどうも85才のようだ。
私が実家を出たのは2016年2月29日、もう2年8ヵ月会っていないことになる。

母と私は、長年「母子癒着」の関係にあった。
母は、自分が6才のときに実母に捨てられてしまい、その後継母にいじめられて悲惨な子ども時代を過ごしたひとだった。
結局母は、実母を恨みぬく生涯となり、周囲にあたりちらし年がら年中怒りつづけていた。

そして長女である私に「自分のお母さんになってほしい」と望み、私が無償の愛をそそぐことを強くもとめた。
しかし、私はとうてい母の希望をかなえることができなかった。

まあ、私もそれなりにがんばったり、でも母の要求水準の高さゆえに、苦しくて母をうらんだりした。
母もまた、私しか頼れる人間がいないし、しかし子どもを束縛してしまうことに罪悪感をおぼえていただろう。

私は、母とどう向き合えばいいのかがまったくわからず、それで数年前からカウンセリングやセミナーを受けることにした。
私の人生のメインテーマは、ずっと「母」だった。

さて、カウンセラー先生は「お母さんと癒着していますね。実家を離れましょう」とのこと。
だが、そう言われてもかんたんには離れられなかった。
もう高齢の母を見捨てるような気がして、なかなか決断できなかった。

母はしょっちゅう激怒していたが、その怒りの原因が私のしわざだと、土下座させないと気が済まない。
まあ、むかしからそうなので私も土下座は慣れている。

むかしは殴る蹴るもよくあったが、そんなもんだと思い込んでいた。
暴力以外でも、毎月多額のお金を母に渡さないといけないとか、セキをしたらいけないとか、いま思うと妙な決まりがずいぶんたくさんあった。

しかしあるとき、例によって土下座させられて「ごめんなさい、本当に悪かったです、これからはぜったい気をつけます」とへこへこアタマを下げていたら、その日の母は相当キゲンが悪くて、手にしていた杖で私を叩きはじめた。

そんなに強くは叩いていないのだが、私はそのときようやく「アレ? これなんかヘンじゃねーの?」と気がついた。
八十の母が五十の娘を土下座させて杖でこづくなんて、やっぱりおかしいよな。

そのときハッと気づいたのだが、母が本当に土下座させたいのは私じゃない、実母なんだと思いいたった。
自分を捨てた実母にあやまってほしいのだ。
そして、本当は実母を許したいんだ。それは、心の奥底では実母を愛しているからだ。

で、母と実母の問題に私が立ち入ってはいけないんだよね。
なまじ私が手を出してしまうので、いつまでたっても母は実母を許せない。
それは、つらくても母自身がひとりで向き合わないといけない問題なのだ。

そういったことがようやくわかったので、私は実家を出ることにした。
実家といっても、父が脳梗塞のあと、母の気まぐれで3回も引っ越ししたのち、ようやく見つけた賃貸マンションなんだけどね。

歯の治療を受けながら、つらつら考えてみたけれど、やっぱり母を「信頼」しようと思った。
「信頼」とは、母は私の助けがなくても、ちゃんと自立して生きられるはず、と私が信じることだ。

現にひとりで歯科に来ることもできている。
もともと健康管理をきちんとできるひとなので、なにか病気があれば病院に行っているはずなので、やせていようが問題ない。

いまの母はきっと尊厳をとりもどして、もうだれかに土下座してもらわなくても、自分自身を高められるはずだ。

母はあれほどひどい幼少期を過ごしたにもかかわらず、自分の子どもには、母なりにせいいっぱいの愛情をかけて育ててくれた。
私はそのことにやはり感謝している。いや、親の愛はかんたんに感謝ということばで済まされるものではない。なににも代えがたい真の愛だ。

でも、感謝することと、だからといって浅いレベルで言いなりになることとはまったく違う。
私はこれからも母を信頼し、そして私は私で自分の人生を歩もうと思う。

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