「好きなモノがあること」そのものを当たり前と思ってはいけない

朝から日差しがたっぷりで、いそいそと二上山をめざす。

▼「万葉広場」にもさんさんと陽がふりそそいでいる。▼雌岳山頂のすぐ手前、思わせぶりの逆光で、ツバキの葉が透き通ってきれい。もう頂上だとわかると、わざとゆっくり歩いてみる。
▼今日ものどかに晴れわたっている雌岳の頂上。
▼やっとザブトンを持参した。これはロゴス製の「8つ折りフリース座布団」。表面がフリースなので気に入っている。
▼日差しをぞんぶんに浴びながら、雲をぼーっとながめる。至福のひととき。

それで……?
いや、あらためて思うけれど、もうこれだけで十二分にしあわせなんだよね。

あえて目標をかかげるとするならば、夏に日本アルプスを登りたいとか、富士山を登って日本百名山完登を達成したいとか、まあ、いろいろ考えられるんだが、でもソレを実現したらとてつもない幸福がおとずれるかといえば、そんなにスゴいもんじゃないような気がする。

たぶん、二上山のしあわせとどっこいどっこいだろう。本質的には大きくちがわないはずだ。
つまり、いますでにもう「しあわせ」の真っただ中にいるわけだ。べつにこの先「もっとしあわせになるために」どーのこーのする必要はない。

で、まるで春のようにぜいたくな日差しを浴びながら、ふと疑問に思ったんだが、あれえ? どうしてもっと早く二上山に来なかったんだろう?
もっとまえからでも、こんな風にトレーニングして登ることはできたはずなのに、なぜやらなかったのか?

ハイキングを中止してしまった直接の理由は、両親の介護である。2014年に父が脳梗塞になって以来、親の世話でてんやわんやだった。
ただ、四六時中介護していたのはほんの数ヵ月だけで、あとはずっと貼り付いている必要はなかった。

結局いちばんの原因は、私自身が「山登りをナメていたから」である。
むかしから好きでよく登っていただけに、一時中断していても「なぁに、再開したらすぐにまた登れるようになるわ」と甘く見ていた。

それは大まちがいで、数年登らずにいたら運動不足も手伝って、あっという間に駅の階段すら登れなくなってしまった。
もともと体力がなかったし、それに老化が加わり、常時ヒザに痛みをおぼえるようになってしまった。

ようやくトレーニングをはじめたのは去年10月25日で、そのとき二上山をほんの少しだけ登ってみた。
それから約3ヵ月かけてちょっとずつ歩行距離をのばしていって、やっと雌岳の頂上まで歩けるようになったのだ。

二上山のような低山でも、山頂まで行けるって当たり前じゃないんだなあ。
「山が好きでいられること」も、当たり前じゃないなあ。

せっかく「大好きなモノ」があっても、そのことを当たり前に思わず、意識をフォーカスしないとうやむやになってしまう。
ちゃんと行動できるように、体調をととのえたり、しっかりご飯を食べたり、早起きしたり、あれこれ準備しておかないと、「好きなモノ」でもどんどん風化してしまう。

ここ、二上山の頂上に来られたら、こんなにしあわせになれるというのに、ずいぶん長いあいだおろそかにしてしまっていた。
でも、これからはもう迷わない。山をいちばんに据えよう。一山一山を味わって登ろう。そして、登れることを当たり前に思わず、感謝しよう。

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