ピアノ発表会|先生「危なかった、無事を祈っていた」、え?! なんでそんなにギャップが生じた?

なかなかに衝撃的なお話でございました。今日レッスンのはじめにずいぶん時間をかけて発表会について先生が話してくださった。

先生「とても緊張したんじゃないですか? 危なかった局面もありましたね。ちょっとだいじょうぶかなあって気もちがしました。なので、ずっと最後まで無事に行ってほしいなあ、無事に行くといいなあと祈るようなつもりで聴いていました」

えーっ?! ホントはソコまでひどかったっ?! いやあ、自分ではかなりリラックスして弾けたと思い込んでいたので、今日の先生のことばに愕然とした。とっさに浮かんだ思いは「え?もしかして、ヘタクソな演奏なのに、自分に都合がいいように脳内変換してキレいと感じてたらすっごくイヤだなあ」ってこと。



けれども、そのあとにつづく先生のお話をうかがっているうちに、いや、そういうキレいとかヘタとかっていうんじゃなくて、「不安定さ」を差しておられるとわかってきた。ふうん、やっぱりドコで雪崩が発生してもおかしくない演奏だったんだ。たまたま偶然スレスレで大崩壊をまぬがれただけだった。

はあ、やっぱり斜面に乗っかってる雪だったんだ。登山塾の先生が「斜面にある雪は、すべからく雪崩の危険性がある」と言ってて、いつどこで雪崩で遭難するかわからんっちゅーて断言しとったけど、まあね、ずーっと暗譜ができなかったしね。いくら練習しても、あっちこっち予想できへんとこが崩落しとったからね。

だのに、なぜ「ゾーンに入る」なんて現象が起こったん?
いや、それはだね、たぶんそういう「危機的な状況を直視したくなくて」、とっさに「ゾーン」という暗幕を張ったのかもしれない。とりあえずクスリで痛み感じへんようにしとこうってカラクリじゃないかな?

ということは、ワシ本当はかなり自信がなくて不安だったんだよねえ。かつ、その不安を乗り越える力もなかったにちがいない。その「弱さ」を、先生はよくわかっておられて心配してくださっていたのだ。



「人前で演奏する」という重みも理解せざるをえなかった。そういう意志を持ったからには、なにも言い訳できない。57才というトシであっても、44年のブランクがあっても、練習時間を確保できなくても、聴いているヒトにはなんの意味もない。聴いてもらうからには「当然クリアできているある水準」が存在する。

そして、自信をつけるためには「演奏経験を積み重ねる」ということ。今回の発表会は、そのいちばんはじめの一回目。

というようなお話を聞いていたら、軽くメマイがした。そこまですごいことなんだよね、演奏って。
ああそうか、だから小学生のときに習っていたピアノの先生がレッスンのたんびにあんなに怒ってたんだよね、なんて思ったりした。

それは結局のところ、聴いてくれるヒトたちの、ひとりひとりに対して、「ただ生きていること」「いま同じ空間を共有していること」に特別な思いをいだくことでもあるよね。

ピアノの演奏にかぎらずね、だれか「ひとに向き合う」っていうのはそういうことなんじゃないかな。

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