ピアノを弾く理由

コドモのころに習っていたピアノは13才の冬にやめた。ま、ゼニがなかったからなんだよね。親から「やめる」って言われてやめた。ピアノに限らず、ウチの親は「コドモの気もちを尋ねる」ってことはまったくしなかった。

いまよくよく思い返すと、本当はココロの奥底で「コドモの気もちを考えてあげたい」と、両親ともわかっていたと思う。しかし、ふたりとも生い立ちが過酷だった。自分の親たちからやさしく思いやってもらうという経験がなかった。だから自分のコドモを育てる段になっても、「コドモの気もちを考えてみる」ということは結局「なんのことかよくわからずじまい」だった。

なので、ピアノをはじめたときもやめたときも、まあ高校も就職先も、ぜんぶ親が決めた。基本的に「コドモは自分の考えを持ってはならない」というスタンスだった。ちょっとでも逆らうと殴る蹴るやってん。ワシ、気が強いんでね、ときどき反乱してはエラい目に遭うたわ。

ただ、いまとなっては、それでもワシは父ちゃん母ちゃんが好きだし、ふたりともやっぱりコドモたちがかわいかったんだなあと思う。せいいっぱいの愛情を注いでくれた。殴る蹴るってのも愛のウラ返しだよね。そないしてもコイツはなついておるって信じていたんだよな。

いろいろあったけどね、ふふ、親っていうのは本当にありがたくて、ワシはあのふたりのコドモに生まれてつくづくうれしいねえ。



こないだのピアノレッスンのとき、1月にあった発表会の写真をいただいた。すっごくりっぱな写真で仰天した。こ、こんなにすごいものもらえるのっ?! 鼻血出そうっ!

▼ワシ、集合写真だけもらえると思ってたから、オノレの演奏写真見てたまげたわ。

わー、はずかしーなー、でもぉー、まー、冥土のみやげになるかー、棺桶にー入れてもらおー。妹ぉー、よろぴく!

いやいや、気恥ずかしいけど、うれしい。あー、なんかこういうのを体験したかったんだなあと感慨深かった。「やりたいこと」が着実にひとつずつ叶っていく感じ。ふわぁ~っ……



しかし、自分の「横顔」の写真って生まれてはじめて見たわ。
んで気がついたけど、ワシの「鼻からアゴにかけてのカタチ」が母ちゃんにそっくりだった!

もともとワシの顔立ちは父ちゃんによく似ていて、母ちゃんとの共通点はまったくなかった。それだのに、この発表会の写真を見て、うわっ、そっかー、アゴとか母ちゃんそっくりやってんなと57才にして気がついた。

そうかそうか、母ちゃんにも似てたんや。それはうれしいのう、とすなおに思う。
で、あらためて「ピアノを弾く理由」ってやっぱり「あのふたりのコドモだから」なんだよなあって思う。

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