「異変」があっても夢はあきらめない

相変わらずパートの仕事がデキなくて周囲に迷惑をまき散らしている。

先輩パートさんから不審がられるのは、やはり「なにもかもすぐに忘れてしまう」ことだ。お客さんがいつごろ来たのか?なにを購入したか?どんな会話をしたか?という記憶がバッサリなくなっていく。

先輩さんからいろいろ訊かれて、たまに思い出せることもあるが、大半はホントに忘れているからなにもわからない。どうしようもない。けれども、ワシはもうじき58才で、そのぐらいのトシでここまでもの忘れがヒドいのはやっぱり「おかしい」と思われてしまう。

いや、その「おかしい」という判断は合っていると思うよ。だって、ワシ自身が48才のとき、このもの忘れがはじまって、「コレはヘンだ、おかしい、これまでの自分じゃない!」って強烈に思ったからね。



その48才のとき、コンビニパートをはじめたんだけど、店長さんがゆっくりていねいに教えてくれる手順がなにひとつアタマに残らなかったんだよ。メモを取っても、あとで読み返してわからなくなる。

しょうがないからあわててICレコーダーを買って、丸一日録音して、それを文字起こししてマニュアルを作った。録音を再生しているときですら、いやあ、こんな出来事あったかなあ?と思い出せないモノもあった。自分では重症に思えた。

それでもダマしダマし、あちこちのパートに行ってきたが、去年はついにクビになった。クビ宣告に先立って、呼び出しを食らったとき、「病院行っていますか?」と訊かれた。なるほど、やっぱり他人が見ても相当ヒドいんだなと思って、すぐに精神病院のもの忘れ外来を受診した。

しかし、診断の結果は「認知症ではない」ということだった。頭部MRIでは「年齢相当より脳に萎縮が見られる」らしい。認知機能の検査は、臨床心理士のヒトから計4時間ほどかけて行なわれた。後日結果を訊きに行ったが、精神科医の先生も臨床心理士さんも「まったく認知症ではない」という。発達障害にも該当しない。



ああそうかといちおう安心したけど、う~ん、やっぱりおかしい。イヤらしいのは、その48才以前はごく当たり前にいろいろなことをちゃんと記憶できていたからだ。若いころから仕事ができなかったわけじゃない。仕事のスピードは遅かったし、そんなに高度な仕事ではないが、でも他人から見て「コイツはおかしい」と思われるようなことはまったくなかった。

「おかしいかどうか?」って気づくのは、これはもう「すぐそばにいるヒト」がいちばんよくわかるんじゃないだろうか?
「え?さっき言いましたよね?」「このお客さんが来たかどうかもわからないんですか?」「ぜんぶ忘れてるんですか?」、そういうコトバを何度聞いたことか!

でも、忘れていることはどうがんばっても思い出せない。悲しいけれどもどうすることもできない。

じつは、ワシの妹も「深刻なもの忘れ」に悩んでいるという。最近やはりMRIを撮ったがとくに異常はなかったらしい。数年前には若年性認知症を疑われてSPECTという検査もしたけど、そのときも大丈夫だったそうだ。

けどね、それこそ数年前ぐらいに、妹とハナシをしていて、あれ?アノことはもう忘れているなあって思うのは何度かあった。まあ、妹は忙しいし余計なことは覚えていないんだろうなと思っていた。ただ、その忘れっぷりにちょっとびっくりした。ふうん、けっこう大きなエピソードも「ない」ことになってる。



妹は、コドモのころは非常に記憶力がよく、勉強も抜群によくデキていた。本好きで、たしか小学校に上がるまえでも漢字まじりの本をつぎつぎ読んでいた。一読すればほぼすべてを記憶していた。読むモノ、見るモノ、聞くモノすべてをいくらでも覚えてしまうので、たいへん博識だった。

その妹がもの忘れに悩まされているなんて、だったらワシがこんなありさまでも、まあしかたないか。

たぶん、「なにか変化」が起こりつつあるんだ。病名がつくかどうかは関係なく、「なにか」あるんだと思うね。
けれども、その「なにか」を抱えながらも生きていかなければならない。その「なにか」も含めて「いまの自分」だからね。

「なにか」があるからといって、ライフワークはあきらめない。「夢を覚えている」かぎり、それはあきらめない。

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