「例のアプリ」でどんな希望設定にする?|意外なホンネにとまどった

私は寂しい。この「寂しい」という感情も数年前にようやく自覚できたばかりだ。それまでは「抑圧」しすぎて気がつかなかった。「ないこと」にしていた。けれども、ちゃんと感じられるようになると、ときおり激しい寂しさに襲われていたたまれなくなる。

そう、寂しい。そう、だから、じゃあどうしたらいいのだろう?

一般的に寂しさを解消するには「ヒトに会う」ということになる。でも変人である私は、その「ヒトに会う」ということもうまくできない。

そもそも非常に忙しい。リアルでヒトに会うという機会を作ること自体たいへん困難だ。パートとピアノ練習とカウンセリングの勉強でぱっつんぱっつんである。こんな私でも、さすがにいっちゃん優先しているのはパートだ。メシの種だからしょうがない。


パート以外の空き時間はついついピアノをブチこんでしまう。だいたいそれで一日が終わるので、カウンセリングの勉強はほとんどやっていない。

その大事な勉強すらできないのに、だれかに会いに行くなんてとうていムリだ。第一、私はいったいどんなヒト付き合いを望んでいるのだろう? 私はだれかに会ってどんなことをしたいのだろう?

ひたすら自分勝手に、なにを望んでいるのか?を考えてみた。そうするとまず、私自身が考えたり思ったりしていることを、ただしゃべりたおしたいってのが浮かんだ。いやそれはもう、このクソブログでやってるからリアルでは必要ないよね。

では、相手になにをしゃべってもらいたいのだろうか?


それはだね、そのヒトが熱中していることを聞きたいなあ。情熱を傾けていることであったり、夢中になっていることだったり、寝食忘れて没頭しているようなモノ、そういう話を聞きたいなあ。必ずしも私が興味を持ってる分野じゃなくてもいい。エネルギーが潤沢にあるヒトだったらOKだな。

などと考えていたら、そういえばセミナー開催者はそういうレベルの方ばかりだし、それにピアノの先生も該当している。なんだ、こっち方面もすでにちゃんと満たされているじゃないか? 往復ともぜんぶだいじょうぶである。

そういう方々以外で、楽しかった記憶をたどってみると、そうそう、子どもさんにバレエを習わせているお母さんの話はとてもおもしろかった。2歳半のときから習わせてもう中学生で、将来は海外に行かせてやりたいと目を輝かせていた。自宅一室は全面鏡でバーもあるレッスンルームらしい。(「はじめて『白髪染め専門店』へ行ったら『ピアノバカ』って言われてうれしかった」)


そういえば、ピアノのレッスン帰りに、たまたまある生徒さんのお母さんに出会って、ちょっとだけ話したことがあったが、このお母さんもすごかった。バレエのお母さんに負けず劣らずものすごい熱量で、子どもさんのいろんなエピソードを聞けて、いやあおもしろかった。すごいことになってるよ!

バレエの子もピアノの子も、子ども本人が大好きでいくらでも練習するというから、それを一家そろって応援していて、しかもお母さんがめっちゃ楽しそうで生き生きしていて、そういう話はいくらでも聞きたくなる。

とはいえ現実的に、わざわざ話をするために時間を作ろうとまで思わない。妹はしょっちゅう「例のアプリ」をすすめてくれるけど、ほんま?アプリで見つかるん? お母さんとかでええけど、そんな設定できるん?

で、ハタと気がついたわ。
そっかー、私まだ「お母さん」欲しいんやなあって。


そもそも、ウチの母ちゃんが「お母さん」を欲しがっていてね。母ちゃんの実母は6才のときに家出しちゃったから、ずっと「お母さん」欲しいヒトだった。

でさ、ウチの父ちゃんがマザコンでね。自分の母ちゃん(私のばあちゃん)に性格がそっくりなおなごを嫁にした。ばあちゃん、すっげえヒステリックで子どもを支配するヒトだったって。ばあちゃんは父なし子でしかも養子に出されているから、そういう生い立ちまで似通っている。

まあ、父ちゃんも「お母さん大好き」で、お母さん代わりになる嫁もらったんだ。父ちゃんもエラいめに会うとるけど、一生嫁が好きって気もちは変わらなかった。

うん、みんなお母さん欲しいんだよね。
けなげな子どもばっかりだ。

「寂しさ」の原点って「お母さんとのへその緒を切り離されたとき」などと聞いたこともある。寂しいときに求めるのは、象徴的な意味でも「お母さん」というのがけっこう正解かもしれない。

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