幸か不幸か、「仕事」と向き合う期間も有限なわけで

むかし若かったころは、「やらされること」でもそんなに苦にせずにやっていたと思う。たとえば、その最たるものが仕事だけど、イヤでイヤでたまらなくてもタダの義務感だけでいちおう会社行ってた。たまにズル休みするぐらいで、わりと長いあいだ勤めていた。

当時は親元から通っていたので、うちの親は「会社ってのは、ソコで定年まで勤めるのが当たり前。それから親の老後をみるのも当たり前」って考えかただったから、ああ、そのためにはイヤもヘチマもなくて、この会社に定年までおるんやなあと思ってた。

それ以外の選択肢は、まったく思いつかなかったねえ。

なんだっけ? ノミの話があるよな。飛べなくなったノミの話。もともとノミは体長の百倍ほどジャンプできるのに、ちっせえビンとかにしばらく入れておいたら、ビンから出したあともビンの高さまでしか飛べなくなるってヤツ。


ソレよく思い出すけど、うちの親の昭和的な価値観をそのまま信じていた自分がアホやった。しかし、友だちもおらんから親しか話し相手がいないと、ずっと親の世界しかわからない。そしたら、親に「やらされている」ことでも、ああ、そういうビンなんだなあとしかわからなかった。

でも、四十すぎたあたりからうまく処理できなくなってきた。「中年クライシス」とかいうけど、そうやなあ、私の体感としては「トシを取ってくると、余力がどんどんなくなっていって、自分に向いていることしかできなくなる。それ以外はもう手が回らない」って感じだなあ。

もうキラいなことはできなくなる。よく考えたら、働くことが大キラいだ。少なくとも、これまでやってきた仕事はぜんぶキラいだ。でも「キラい」というホンネを見ないことにしてきた。そいつがヤバかった。ホンネに気がつかないフリをしていると、あとでえらいツケが回ってくる。

ただ、心理学を勉強しているうちにそういうカラクリがわかってきた。いろいろ腑に落ちてきた。そうしたら、もう仕事はどうでもいいやと思えてきた。どうせあと6年ちょっとで年金もらえるし。少ないけど。


で、いますごくあやまりたい気分だ。だれに? いや、この世の中のしくみを作ってくれたひとたちに。

これまで延々と「仕事をしないとゼニがもらえないしくみはおかしい!」って叫んできたけど、よく考えたら「トシ取ったら働かなくても年金あげます」ってしくみも作ってくれていたんだ。47年じーっとしんぼうして働いたら、あとはなんもせんでもチャリーンってカネもらえるんだ。ごめんねー、ありがとねー。

たまたま昭和37年に生まれた私は、65才から年金もらえるわけだが、これも若いひとたちから見たらミョーなしくみだ。私みたいにほとんど税金払っていない(だって給料安すぎて)ババアを、なんで俺らが養わなあかんねん?って思うよな。すまんのう。

いま住んでいるビンの世界では、「年金まであと6年」というカウントダウンがはじまっているらしい。これはもう確実に、バッハの平均律がぜんぶ終わるまえに必ず年金がもらえるな。


けれども、それに気づいたらとまどいのほうが大きい。将来ラクになれそうでうれしい気もちもあるけれど、いやあ、そこまでエエカゲンに生きてかまわんのかなとためらってしまう。イヤなことから逃げ回っているうちに勝手に強制終了がやってくる。

これは、もしかすると後悔するかもしれない。ちょうどいま、「ビリーフリセット・リーダーズ講座」の課題が重荷で逃げ回っているけど、これももう12月には終講になってしまう。終わったあとにきっと、ああ、もっと勉強しておけばよかったって悔やみそうなのだ。

「この世は有限なんですよ」って、むかしあるひとから言われた。さらにそのひとは「これからどういう仕事をしますか?」と私に尋ねた。

あう……、十数年前からぜんぜん変わっていない自分。ヤベえな。本気で仕事どうするか考えんといかんな。

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