自分のショボさを認めようじゃないか|「やめたほうがいいこと」どっさり

カウンセリング・セッションや「ビリーフリセット・リーダーズ講座」のおかげで、徐々に心の整理が進んできた。

それであらためて思うのだが、私の場合、「やめたほうがいいこと」がけっこうたくさん出てきた。これまでやってきたことをやめるとか、これからする予定だったことをやめるとか、なにせ「それ、やめといたほうがええわ」ってのがむっちゃ湧いてきた。

まず第一に「それ、やりたいと思うなら、その『動機』はなんなん?」ってとこを掘ると、けっこうイタいけどすぐに判断できる。

私はいまだ子どものままで「親にホメられたい」という気もちがとても強い。この気もちがそのまま他人に投影されるので、結局「ひとにスゴいと言われたい」「ひとに認められたい」「直接ひとに知られなくても、もし知ってもらえたらうれしい」ってことばかりをたくらんでいた。


音大受験を思いつくなんて、その最たるもので、ああ恥ずかしい。冷や汗が出てくるわ。

この「ひとにどう思われるか?」が絡むかどうかがキモなんだが、それでいくと、ピアノを弾くということもかなり用心しないといけない。

以前私は「ピアノを弾くということは、だれか聴き手がいるのが大前提だ」と思い込んでいた。そう、思い込みっす。ビリーフっす。

てなことを堀江さなえさん(ビリーフリセット認定カウンセラー)に話したら、
「私の知り合いのひとで、だれにも見せないで絵を描いているひといますよ、とても楽しんで」とおっしゃる。

へええ。


これは効き目があって、ほんとビリーフがはずれて、う~ん、そうか、ひとりで弾いていて楽しいかどうか?って鍵だなと思った。

結局、自分はバッハを弾いていたらひとりでもOKとわかった。ただしその気づきに付随して、いやあ、そしたらモーツァルトはそんなに弾きたくないな。ベートーベンもだね、ショパンもダメだな、ドビュッシー、ラベルなんて一生ごめんやわ。

ということは、もちろん音大進学なんて意味ないし、それが自分のホンネなんだから、ピアノのレッスンも先生にお願いしてバッハ中心に変更していただかないといけない。

せっかくいくつかは練習したけれど、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、ショパンは、べつに「ひとりで弾いていてすごく楽しい」わけじゃない。だから「やめる」という方向が正しい。


さらに「やめたほうが断然いいもの」がある。
それは「自分に合ったパート探し」だ。

これまで「自分に合ったパート」というのは「なにかキャリアが積めるものがいい」と思い込んでいた。

こういう一見もっともらしい理由がクセモノで、これもちょっと掘り返してみるとその下には「ひとから『スゴいですねえ』と言われる成果が出せるもの」というのがほんまやった。ひとから評価されたいだけだった。

もしカウンセラーになって、人気が出たとしたら、ひとから「スゴいですねえ」と言われるだろう。それを狙って、私はカウンセラーになりたいと思っていた。あ、カウンセラーはどっちかというとゼニ儲けのほうが強いかな。

どっちにしても、てめえ、「スゴいと言われたい」「ゼニ寄こせ」なんてカウンセラーに、クライアントが来るわけねえだろっ?!


だから、そういうのぜんぶチャラにして、これからは「自分に合う仕事」なんて考えないことにした。クビになるまでいまのところに勤めよう。クビになったらなったで、なにかべつの尺度でご縁を見つけよう。

あと、うっかりはじめないのがいいのは「勉強」。

勉強もヤバいんよ、あたしゃ。
「なにか勉強」してたら → だれかに「スゴい」と言ってもらえそうで、だから勉強したくてウズウズするんだよね。

あかんあかん。「勉強」も禁止。
おまいはバッハだけ練習しとったらよろしい。


これで「やめる」のは、「音大進学、バッハ以外の作曲家ぜんぶ、もろもろの勉強、パート探し」だ。

お、おう!
こ、こんだけやめたら、むちゃくそラクになるやんけっ?!

毎日やることって「パート + バッハの練習」だけやん?!

ああ、ちょうどええサイズ感やわ。
私はこのぐらいちんまりしてるのがラクチンやわ。

いやいや、バッハなんてやろうと思ったらなんぼでも曲あるから、そう、「バッハだけ底抜けに楽しむ人生」って輝かしくて深遠でこの上なくすばらしいと思うよ。

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