「お許し」が出ていないのでへっぴり腰なんだが

いまから2年前に再開したピアノが、予想外におもしろくて前のめりになっている。子どものときに習っていたけど、もうぜんぜんちゃうちゃう。

なにがおもしろいのかというと、いま現在は「音色を作る」ってのに感心している。いや、まだ「自分で作る」とまでいかないけど、しかし「いろんな音色を作れる可能性」はわりと見えてきた。

けれども、その音色うんぬんの前に、「ピアノの音のちがいを聴き分けられる」ようになってきたのかもしれない。ちっともたいしたことないが、それでもレッスンをはじめる前よりはかなりわかるようになってきた。

なにせレッスンでは容赦なく「そうじゃなくて、こう」だの「これとコレのちがいわかりますか?」だの「ぜんぶ失敗」「やっぱりまだダメ」「60点」とかを毎週浴びせられているから、いやがおうでも耳が育ってきたかのう。


まあ、まずOKなんて出ないのでいつもがっくり来ているが、具体的に「音の作りかた」を徐々に教えていただくうちに、たしかに何種類もの音のちがいであったり、どこでどう弾き分けるのかであったり、少しずつ飲み込めてきた。

で、そっかー、グランドピアノって音を作れるんだなあとわかりつつある。輝かせたりくすませたり、尖らせたり丸めたり、乾かしたり湿らせたり、そんなのを組み合わせて音を作っていくもんなんだね。

電子ピアノは、その幅が極端に狭い。すでに「完成しすぎて」おり、どうがんばっても整いすぎた音が自動販売機のように勝手に出てくる。弾いていて「それ、ウソやろ?」と嗤いたくなる。でも、「汚い音」なんてわざわざシミュレーションして入れないよねえ。しかたない。

なので、日中グランドピアノをぽーんと鳴らして、ほうっと感心するのがおもしろい。弦が響くのが楽しい。


デカい楽器だよねえ、ピアノって。

私はどうして、こんなに大きな機械を操作しているんだろうと、いまもとまどう。

横幅なんて軽自動車並みなんだよね。そんなにデカいモンで、しかもうるさいんだよ。大音響よ。そりゃ楽器だから。

どうして楽器なんか弾こうと思ったんだろ?

楽器って、うっかりさわっちゃいけないじゃん?
特別なひとしかさわれないって思うじゃん?
捧げることを知ってるひとが弾くモンじゃん?


そう、だから、いつも発表会で、ピアノのイスに座って、目の前にあるピアノを見ると、「え? これ、私に弾けというのっ?!」って思ってわけがわからなくなるんだよね。

ああ、まだ「ピアノを弾いてかまわない」という「お許し」をもらっていないなあ。

むかし、ハイキングをはじめたばかりのころも、やっぱり「お許し」は出ていなかった。山の雑誌すら買えなかった。そういうのを買う資格は、私にはないと思えてしかたなかった。初心者向けのガイドブックを本屋のレジに持っていくのもためらわれた。店員さんに「あんたが?」ととがめられそうな気がしてならなかった。

山の道具を使うのも恥ずかしかった。六甲山へ携帯コンロを持っていったとき、だれにも見られないように隠れてコソコソ使った。アイゼン、ピッケルも泣きたくなるほど違和感があった。いつもだれかに「おまえが?」と責められるんじゃないかとおびえていた。


それでも、山は13年登っているうちに慣れてきた。いつの間にか自家薬籠中のものになり、あれも登った、これも登ったとどんどんふてぶてしくなった。

だから、ピアノもこれから何年もつづけていれば、きっとどこかで開き直れるはずだ。いつかは、すいませんすいませんと謝ることなしに弾けるだろう。弾くよ、ヘタだけど私はこう弾くねんって。

で、そのためには「操作の練習」だ。音、作ろう。弦を鳴らすことに習熟しよう。

登って登って登り倒したら山登りが常識になったように、ピアノも弾いて弾いて弾き倒したらきっと知らないうちに「お許し」を超えて、あ、当たり前になってるってときが来る。

にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ にほんブログ村 ランキングに参加しています。お好みのカテゴリーをポチッてくだせえ。おねげえしますだ。


タイトルとURLをコピーしました