イヤなことからぜんぶ逃げて努力しない人生だったけど

私は、ずっと子どものままでいたかった。理由は、やっぱりラクだからである。

パートに行っても「わかりませーん」と平気な顔をしていられる。「わかるための努力」とかは、しんどいからやりたくない。周りは「もっとやれよ。努力しろ」と迫るけれど、私自身は「いや、私は子どもなんで。未熟なんで。おとなになれないので」と決め込んでいるからなにもしない。

「精神的に子どもでね」と言い訳していると、失敗しようが忘れようが知らん顔していられる。ずっと逃げていられる。正面から向き合わなくて済む。

子どもでいたら、なにか都合の悪いことはぜんぶ「おとな」のせいにできる。子どもは悪くない。子どもは自分で解決する力を持っていない。「悪いのはおとな」である。


だから、仕事ができないことも「周りの教えかたが悪い」「お客が悪い」「忙しすぎる」と文句を言っているだけだ。自分では「私は子ども並みのオツムなんだから、もっとていねいに教えろや」と思っている。

とうとう最終的に働くことすら止めてしまった。

だって子どもだもん。イヤなことはやりたくないもん。

子どもは「働く→給料をもらえる→だから生活できる」なんてしくみを理解できない。ほんと、私はそのしくみがさっぱりわからない。腑に落ちない。どっかから勝手にゼニが振り込まれてくるのが、いっちゃん助かる、それが当たり前だと思っている。


自分にとって、ごく自然なありかたというのは、やっぱり親に養われていた時代なのだ。

あれがええな。家賃も光熱費も払わんでええし、そこそこの食いモンは与えられる。ウチの親はクラシック音楽が好きだったから、私はピアノを弾いているだけでよかった。勉強はせんでいい。

おおうっ! し、しまった!

いま現在、私は無職でぶらぶら、毎日ピアノさえ弾いていればいい生活になったが、それってほんま子どもに戻ったわけかよっ?!

どうやらそうらしい。(真っ青)


ええと、そんなにも私は「あの両親の子ども」というポジションが好きなんだろうか?

そうだな、好きだな。それはもう、ラクだからね。なんの責任も取らなくていいし、ゼニの心配もいらんから。

ピアノの練習はちんたらやる分には好きだし、レッスンも怒られなかったら楽しい(いまもむかしも)。

しかし、問題はその「ちんたら」なんだよ。

2年前にピアノのレッスンを再開して、まあいちおう練習してきたものの、でもずっとマイペースなんだよね。私のマイペースというのは「ちんたらちんたら」なのだ。


べつにピアノに限らず、すべてのことをだらだらうだうだずぃーっと引き延ばしてやるのが大好きなんだけど、ことピアノに関して「だらーっと超低速でしか弾けない」ってどうなんだろうか?

いつも「手が痛い、しんどい、ババアだ、忙しい」と言い訳して練習をサボッているが、う、いまはヒマでしょうがないよね。でも練習時間は増えとらんよね。

そもそもテンポを上げる気があんのかよっ?!(怒)

いやあ、ないなあ。なかったわ。いつか弾けたら、ぐらいの気でおったわ、ほんま。

でもなあ、いったい私は「どういうピアノを弾きたいのか?」を考えたら、いやいや、そんなにちんたらちんたらでいいわけねーよなって気づいた。出来の悪い子どもみたいに、ぜんぜん練習しないで、ろくすっぽ弾けないままでいたいわけじゃない。


いまもむかしも、ピアノの先生が「こう弾くべし」とすごいお手本をみせてくれるけど、それ、どない?

それはだねえ、ほんと自分に正直になってみたら、そりゃあんなふうに弾けるようになりたいと思うよ。

でも、とうていムリだとあきらめていた。

しかし、そこをあえてがんばってみたいと思ったかねえ。

だから、そのがんばりのためには「おとなになろうか」とはじめて思った。生まれてはじめて「おとなになりたい」と思ったね。


私はこれまで、ぜんぶ逃げてきたからね。しんどいことは避けてきた。やらないで済むように親や他人を利用してきた。

けれども、ちょっと味気なくなってきた。

そっかー、高速道路も走ってみたいな、一生ママチャリじゃなくて。

高速並みのピアノが弾けるように努力してみようかな。

と、これもまた生まれてはじめて「努力したい」と思ったよ。

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