「ハイキング」と「登山」のちがいって、自分のなかでは「ハイキング→日帰り」「登山→山中で一泊以上」みたいな分類にしている。
ふつうはハイキングからはじめて、それにだんだん慣れてきたら、北アルプスとかで「山小屋デビュー」、やあ、おめでとう。
小屋泊まりで、えーっ?! 大汗かいてるのにフロないのっ?!とか、一枚のふとんに3人寝るのっ?!(最盛期)とかそのうち慣れて、しまいに両隣の他人とアタマと足、交互に押し込められて、自分のアタマの左右におっさんの足が密着していても平気になる。
北は混むんだよなあ。展望がいいし、有名な山(槍ヶ岳とか)多いし、交通アクセス便利だし。
その大人気北アルプスに余裕を持って登ろうと思ったら、そうだなあ、やっぱり一日3~4時間は登れるようになっておいたほうがいい。
で、「疲れない登りかた」ってあるんだよね。ラクに長時間登るコツがある。
「一歩一歩登る」というよりも「一歩一歩体重移動」する。
まず一歩、右足を少し高い位置に置いたら、「右足の筋肉で、ぐいっと身体を持ち上げる」のではなく、「左足にかかっている体重を、すっと右足に移動させる」。
両手でストックを使うと、この「すっと移動」がじつにスムーズにできる。ストックで移動方向をコントロールする感じね。
こんなふうに「右、左、右、左、すっ、すっ、体重移動」だけをやっていると、ほとんど筋肉を使わないで済むから、ぜんぜん疲れない。筋肉痛なんてゼロ。
まあ、脚力のある若いにーちゃんとかはガシガシ力づくで登っていきよるけど、そんなのできるの、若いうちだけや。
この「一歩一歩、ガッシガッシ、高々足を持ち上げて登る」ヤツ、そういえばピアノの「ハイフィンガー奏法」に似てるかもね。
鍵盤より高い位置から指を降ろしてくるって、いやあ、それちょっとムダかも、しんどいかもが似てる。
さて、私が子どものとき、ピアノをどんなふうに弾いていたのか、もう覚えていないけど、たぶん「鍵盤から指を離してバコバコ弾いていた」ような気がする。半世紀も前って、奏法とかぜんぜん言わなかったよなあ。
しかし、いまから約2年前にピアノを再開したら、こんどの先生は厳格に「新しい奏法」を教えてくださるかただった。
まず、指は鍵盤にぴたりと付け、それを押下する。押下するのに、一本ずつ指を動かさない。「腕の重み」を「手首の回転」によって「指先」に伝えて押し下げる。
なにせ「指を一本ずつ上げ下げしない」。「ドレミファソ」を弾くのに、いちいち指で一本ずつ弾くのではなく、「腕の重み」を「1→2→3→4→5」とすーっとなめらかに移動させていく感じだ。
おう! 山登るのとおんなじじゃんって思たわ。
山も、足を一本ずつ上げ下げするんじゃなくて、すっすっと体重移動するだけ。重みを乗せていくだけ。
ピアノもそういうの、あるんだねえ。指一本ずつ動かすんじゃなくて、重みを乗せていく。移動の方向は、手首の回転でかけていく。ほう、ストックで制御するのといっしょ。
で、山では「つぎの足を、山道のどの箇所に置くか?」というのを都度都度判断する。疲れないためになるべく小さな段差になるよう、ちまちまルート?を考えて移動させていく。
ピアノもなあ、それおんなじなんだよ。
できるだけ少ない力で弾けるように、最短距離を取れるように、都度都度「最適ライン」を考えないといけない。その「ライン取り」は、山登りよりもかなりむずかしい。
まあ、目的は「きれいな音」をめざすわけだし、うん、とっても繊細なお話ですな。アタマの両脇に他人の臭い足があっても熟睡できるって世界とは遠くかけ離れておるわな。
でも、「ライン」探すの、おもしろいなあ。ぱちっ!とハマるラインが必ずあるのよね。
ま、見つかっても、つぎにまた弾けるとは限らない。身体に覚え込ませてなじませていく。
山とちがって、こっちは「きれいな音」と「きれいな動作」に完成させるけど、その「磨いていく過程」が興味深い。
山では「自然のうつくしさ」が向こうから勝手に無尽蔵に降ってくる。湧いてくる。それを受け取るだけで済む。
けれども、ピアノはね、ちょっとでもキレイめなのを自分で作らないといけないからね。
その「作る」のが、こんなにおもしろいとは思わなかったよ。
あ、ピアノで「登山」の領域に入るのはモーツァルトソナタかも。
曲も長くなるしテクニックも増えてくる。「ライン取り」は必須だな。