親とゴタゴタしながら育ったひとの一部は、おとなになってから、はれ? なんかウマくいかねえぞ? ということで、心理学セミナーとかカウンセリング行ったりする。
まあ、これも「一部のひとたち」であって、みんながみんなそうじゃない。
でもまあ、私は「そっち方面」になじみができて、「そっち」が気に入って、それから、人生がウマくころがるようになってきた。
「そっち」では、「ウマくいかない ⇒ 大元は親」という見方に、たいてい帰着する。
正確には、「子ども時代に作った『親』像」(インナーペアレント)である。リアル親のことではない。
「インナーペアレント」という「イメージ」で考えると、うまくカウンセリングが進むので、「親がねー」という表現をする。
けれども、ほんとのほんとは、「子ども時代に作った『親の記憶』」と、おとなになってもドンパチやっているわけだ。
それは「記憶」なので、ほんとは「自分の一部」でもある。
つまり、「自分の内部で、自分の一部を攻撃」している。ありゃ、自己免疫疾患みてえだな。
なんでもいいけど、そりゃ「記憶」にすぎないから、後から自分で「書き換える」ことができる。それが「ビリーフリセット」だ。
「いまの自分」にうまく合わない「記憶」(ビリーフ、信じ込み、思い込み)なんて、さっさと「現状にマッチする記憶」に、「自分で変更」すればいいだけだ。
私はちょくちょく、楽譜を読みまちがう。本人はそれで合っていると思って、しゃあしゃあと、そのまんまレッスンで弾く。
そしたら、先生に「ちがいますよ」と言われる。ほんとだ、ちがった。もちろん、すぐに訂正する。
このごろ、自分で「ビリーフ」に気がつくと、けっこうホイホイ気楽にリセットできるようになってきた。
ま、音符のまちがいみたいなもんで、さっさと変えたらいい。
すると、こういった「自分の考えかたを、気軽に変えてみる」というのは、なかなかよさげな戦略に思えてきた。
それはつまり、柔軟的であったり、融通がきくことだったり、周りの状況に合わせて、のらりくらりかわせたりすることでもある。
こんなふうに、「都度都度、最適化する」というのは、こののち28年間生きる予定ならば、なおさらいい方策だろう。
「こだわり」「執着」よりも、「しなやかさ」「割り切り」「広い芸域」のほうが、するする生き延びられそうだ。
なので、いろいろ「実験する」のは、おもしろそうだね。
いま現在、ネットからの収益は、ほとんどグーグルアドセンスに頼っている。
アドセンスなあ、正確な金額は公表したらあかんのよ。
だからちゃんと書けないけど、以前は6ケタだった月が3ヵ月あったので、ついついそれを再現したくなっちゃって。
「ずっと安定して6ケタ」だったら、すっげえパラダイスって、思っちまって。
でも、それって「執着」だなあって、気がついた。
ちなみに、「なぜ、そのときは6ケタだったのか? どうしていま5ケタになったままなのか?」というのには、ちゃんと理由があった。
柏木るい先生(初心者さんに検索順位が上がるブログの書き方教えます|ココナラ)が、ブログコンサルで即座に教えてくださった。
その理由がわかって、あたしゃ、ちょうどビリーフがはずれたときみたいに、ポカーンってなったよ。
そう。
それもあって、う~ん、「自分の都合」ばかり、しがみついてちゃダメだなあって。
だから、「アドセンス、いまは5ケタ」という現象は、べつに悪いことじゃないね。
なにかしら、私に「新しいなにかがある」と教えてくれているんだ。

ホラホラ、こっちにも「いい山」があるよ。
まだ登ってないでしょ?
はは、楽しいよ! おもしろいよ!
ああ、そういうお誘いなんだねえ。
なので、「5ケタはダメ。6ケタがぜったいイイ」なんて考えは、ヤメることにした。
もちろん、柏木先生のアドバイスは、ちゃんと実行していこうと思っている。
ただ、ネットの情勢は目まぐるしく変わるから、ほんとますます「しなやかさ」が必要だ。
ある程度、その変化に対応はするけど、基本は「ゆだねる」ってことで。
ゆらゆら、ふらふら、流されつつ、でもまあ、その「おまかせのラクチンさ」を味わいつつ。