どこの職場でも「私が使いモンにならない」ほんとうの理由が明らかに

「おまいの競争相手はナメクジだろ」という文字と、「カタツムリ」のイラスト 心理学っぽいあれこれ

このブログは、「仕事がぜんぜんウマくいかなかった」というグチで埋め尽くされてますな。

いやあ、毎度のことですいません。

数年前、根本裕幸さんの心理学セミナーに通いはじめたのも、「仕事をなんとかしたい!」ってのが動機でね。

テーマが「仕事」とか「ライフワーク」とかのセミナーは、ぜんぶ出席したよ。東京でやる3日間のセミナーも行ったなあ。

あのセミナー、ほぼ徹夜になるヤツで、4人グループで夜明けまで話し合いましてな。おう、なつかしいのう。あのときのみんな、いま、どないしとる?




その当時、私は、「好きなこと」や「やりがいのあること」が仕事だったら→しあわせになれる、なーんて思っていた。

んー、そうだな。

ゴム印ぺったんぺったんの会社も、そのあと、ケツ割りまくりのパートも、「ココじゃ、あたいはしあわせになれねえ」って、決めつけていたなあ。

「ゴム印ぺったん」といってもな、だいたい「万単位」で来るんだよ。紙が数万枚。その紙にぺったんぺったんゴム印押す。

昭和50年代は、まだそんな仕事でも給料が出た。

そういえば、ベテラン先輩さんなんか、「コピー機がなかったら、ひたすら書類を書き写す仕事してた」って言ってたな。

で、すいません。またグチになっとるわな。

要するに、「あたしゃ、ゴム印押すために、生まれて来たんじゃねえ!」と思ってたわけだよ。

なんかもっと、「スゴい仕事」で「スゴい給料」をもらいたかったのだ。

他人から「へええ、スゴいねえ、エラいねえ」って言ってもらえる「カッコイイ仕事」をしたかったのだ。




ま、ソレって、もとを正せば、「親に認められたい」ってことなんだけど。

「親の価値観」に見合う、すごくりっぱな仕事をやれたら → しあわせになれる、と思い込んでいた。

そういう仕事がデキるようになったら、「一発逆転」で万々歳だと信じていた。

ってのが、じつは、ぜんぶ「親離れできていないから、ウダウダ抜かしている」とわかってきた。

カウンセラーさんやセミナーの受講生さんのおかげで、なんでそんな「カラクリ」をブン回しているのか、よくわかってきたのだ。

なので、いまはようやく、「あ、ホンネは『働きたくない』から、ぷーになろう」というところに到達した。

ビリーフリセット・リーダーズ講座」で同期だったHちゃんが、昨日の記事を読んで、私にコメントをくれた。




Hちゃん

春子ちゃんの、
『ひっくるめて、しあわせモンだった』って言える
器の広さが、文章から伝わってきたよ。

 

自分を受け止める、前向きなしたたかさをすごく感じた。
いいね~

う~ん、「自分を受け止める、前向きなしたたかさ」に、マイッちゃったよ。

そう。まさにそのとおり。

「ショボい自分」を受け入れられるか、どうか?

ソコ、だよね。

結局、「私のショボさ」って、「遅い」ということに尽きる。

なにをやっても、「人並みのスピードでぜったいできない」。そこをムリしてがんばると、ストレスでつぶれてしまうのだ。

「なんにもデキない」わけじゃない。自分でもそう思うし、他人から見ても、どうかすると「いろいろデキそう」に思われることもある。

しかし、どんなことでも、「ふつうの早さで、まったくできない」ね。




ウチの親は、私の弱点を、そこまで具体的にわかってはいなかった。

まあ、本人ですら、最近になって、やっと特定できたばかりだよ。

ただ、親は、なんとなく「弱いコだから、なるべく、ラクに生きられるようにしてやろう」と思ってくれたのだ。

それで、私は大学進学ではなく、高卒で就職したのだが、まあ、ほんと、その判断は正しかったよ。

その「ゴム印ぺったん」の会社では、しんどくなかったもんね。

むずかしい仕事は、ぜんぜんなかった。先輩や上司もいいひとばかりだった。急がされることもない。

いまになって、やっと気がついたけど、もし仮に、私が高校生のとき、大学をめざしたとしても、ああ、きっと受験勉強のストレスに、耐えられないだろうなあって。

勉強って、私は「ものすごくゆっくり」なら、まあまあ好きだった。ただし、若いころね。

でも、「受験」という期限があって、それに間に合わすために勉強するって、それは、私にはムリだな。プレッシャーに押しつぶされるな。

そんなふうに「努力でなんとかならない、持って生まれた性質」っていうのが、このごろよくわかってきたよ。

だから、私に向いているのは「期限のないホニャララ」だ

「いついつまでに、なんとかせえ」ってなると、あっという間にしんどくなる。追い立てられて苦しくなる。




もう、そういうの、ぜんぶやめよう。
向いていないから。

ピアノは「期限がない」から、のんびり楽しめる。

そりゃまあ、免許返納だとか、健康寿命だとか、そのうちレッスンの「終わり」がやってくるけど、まだしばらくは、マイペースで練習してたらいい。

ふしぎなことに、ピアノだけは、ほんのわずか早く弾けるようになってきた。

いや、ふしぎでもなんでもなくて、先生から「正しい奏法」を教わったので、徐々にできるようになってきたのだ。

このごろ先生から、ごくたまに「そこ、走らないで!」と注意されることがある。

短い音符がつづく部分とか、テンポが速くなってしまうのだ。ごくまれだけど。

すると、私が弾き終わったあと、先生は決まってかならず、「まさか、こんな注意をする日が来るとはねえ」と、感慨深げにおっしゃる。

とてもうれしい。

ピアノだけは、私の人生の例外として、「まあちょっと、人並みギリギリの早さ」を、味わえるかもしれない。

ほら、仕事じゃなくても、いま、ちゃんとしあわせじゃん!

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