アタマが「ぶわぁ~」となって、もう何日たったのかねえ。
「ぶわぁ~」の行方がどうなるのか、さっぱりわからない。
けど、ものすごくピアノを渇望している。
「きれいに弾きたい」のだ。
でも、その「きれい」ってなに?
具体的に、どういうのが「きれい」?
レッスン日 | 平均練習時間/日 |
---|---|
2021/11/08(月) | 1時間51分 |
2021/11/16(火) | 0時間55分 |
2021/11/23(火) | 1時間42分 |
2021/11/30(火) | 1時間46分 |
練習時間は「微増」。
ふしぎなことに、「手の痛み」がほとんどなくなった。
ああ、はい、アタマが「ぶわぁ~」となっているうちに、痛くなくなってきた。
ハノン
ハノン40番│半音階│長6度│合格
1回目、左手がおろそかになる。
私はよく、「左手は、とにかく黙っとって」をやっちゃう。
先生「右の手にも、左の手にも、すてきな音を乗せましょう」
2回目弾いて、合格。
変ロ短調スケール│合格
スケールは、1回で合格。
半音階もそうだったけど、「音のつらなり」にうっすらイメージが重なる。
螺旋階段を見上げたり、見下ろしたりするようなイメージ。
そういうのが浮かぶと、うまくいくような気がする。
いま使っている楽譜 ハノンピアノ教本 全音ピアノライブラリー
「手の痛み」がなくなった理由
ハノンを終えて、先生が尋ねられた。
「音に響きが出てきましたが、手の具合はいかがですか?」
「はい、おかげさまで、もうほとんど痛くないんです」
「あ、それはよかったですね。
手の痛みについては、もうずっと話し合ってきましたが、どうでしょう?
いまもまだ、ある程度の痛みと、付き合いながら、という感じですか?」
あらためて、そう訊いていただくと、私はひどくとまどった。
あれ? なにか「ガマンするほど」の痛みは、まったくないよ。
それは……、曲について「物語」を考えるようになってから、痛くなくなったのだ。
私「あのう、ふしぎなんですけど……、
先生にいろいろ『物語』やイメージを聞かせてもらってから、痛くなくなったんです」
そうしたら、先生は「え? あれは勝手なファンタジーですよ」と笑っておられる。
私も、なぜそうなったのか、よくわからない。
なので、思いつくままに、
私「あのう、なんかすごく気もちが変わってきたんです。
『物語』が聞こえるかのように、弾きたいなあって、すごく思うんです。
それを『音にしたい』と思いながら弾くと……、『痛い弾きかた』にならないんです」
↑というのは、先生に話しながら、ふと、わかってきたことだ。
ほんと、ふしぎなんだけど、
・「『物語』が聞こえるかのように弾きたい」と思うと → そもそも「手の痛み」の存在すら、意識していない
そうなんだよねえ。
だって、バッハでも「この小節から、この人物がこう語りはじめて……」とか、そればっかり考えて。
妄想炸裂。
いかにもそう聞こえるように、ああかな?こうかな?って、しつこく練習したけど、そういえば、痛いかどうか?なんて、ぜんぜん気にしていなかった。
主人公の気もちの乱れを、どういうバランスで音にするか?とか。
でも、私が、そんなふうに弾こうと思ったきっかけは、先生の「物語」が、本当にすばらしかったからだ。
てか、僭越なんだけど、先生の「感性」にあこがれるんだよねえ。
先生ご自身は、ピアノで、どの曲でもつねに物語が浮かぶとおっしゃる。
それどころか、ピアノを弾く以前、ごく幼いころから、歌の歌詞の一部を聞いても、その情景がしぜんに浮かび上がってきたそうだ。
先生は、「機械的に『弾けるようにしよう』と思うのは、ダメですよ」とも、おっしゃった。
なるほど。
手の痛みの原因は、そこらへんにあったのか。
バッハ:フランス組曲第3番 サラバンド│5回目のレッスン
「物語」をふくらませている。
▼19小節から、左手にあらわれる人物には、青い服が似合いそう。
でも、いやあ、弾いたらダメだった。
今日から暗譜だったし、やっぱりウロ覚え続出だし。
先生「物語は、ちゃんと聞こえます。
しかし、バッハの音楽としては、もっと抑制的にしましょう。
そうですね、『哀しい運命』を受け入れて、納得しているようなイメージで」
いま使っている楽譜 春秋社版 バッハ集 3
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番K.282 第1楽章 変ホ長調│8回目のレッスン
これまでは、ほとんどペダルなしだった。
先生は、ペダルについて慎重なので、私もなかなか自分の判断で踏めない。
むかしは、ペダルなんてぜんぜん気にしなかった。
音をつなぐためとか、うっすらなんとなくとか、無神経に踏んでいたものだ。
でも、ピアノって、基本的にペダルなしで、ずいぶん響くし音も伸びる。
そんなことが、徐々にわかってきたので、先生からご提案があるまで、あまり踏まないようにしていた。
だが、今日は、「さいしょから、ペダルを入れてもいいでしょう」と、お手本を聴かせていただく。
とはいえ、先生「どこで踏むかは、あらためて、自分で考えてみてください」とのこと。
▼いちばん最後の一音。失敗率の高いところ。
ここも、ペダルを使って、成功率を高めることになった。
「最後の一音、手で弾いてから → ペダルを踏み → 手を離して → 足でじんわり切る」
そうすると、少なくとも「音の消え際」は、足で必ずコントロールできる。
でも、まず「最後の一音」を、弱音で確実に鳴らさないとねえ。
いま使っている楽譜 モーツァルト: ピアノ・ソナタ集 第1巻/ヘンレ社/原典版
ツェルニー40番の22番│1回目のレッスン
同じ音、連続4つ。
ぜんぜん知らなかったが、手をすぼめ気味にして、鍵盤のすぐ近くで、極力小さな動きにする。
「まるでゴマを振るように」
ゴマかあ。
そのぐらい軽い動きなんだなあ。
いま使っている楽譜 ツェルニー40番練習曲 全音ピアノライブラリー
今日のレッスンを振り返って
レッスンのあと、アタマの「ぶわぁ~」が、ほとんどなくなっていた。
なぜか、シンと静まり返っていた。
あ、そうか。
私は、ピアノを「きれいに弾きたい」と思っていた。
でも、単に「きれい」じゃないんだな。
そもそもピアノは、「弾く」のではなく、「語る」ものなんだな。
それをわかりたくて、これまで「ぶわぁ~」と、もがいていたのかもしれない。