ピアノレッスン第118回 記録 |ピアノは「弾く」のではなく「語る」

「語るということ」という文字と、「語る女性」のイラスト ピアノレッスン記録

アタマが「ぶわぁ~」となって、もう何日たったのかねえ。

「ぶわぁ~」の行方がどうなるのか、さっぱりわからない。

けど、ものすごくピアノを渇望している。

「きれいに弾きたい」のだ。

でも、その「きれい」ってなに?

具体的に、どういうのが「きれい」?

1日当たりの平均練習時間
レッスン日 平均練習時間/日
2021/11/08(月) 1時間51分
2021/11/16(火) 0時間55分
2021/11/23(火) 1時間42分
2021/11/30(火) 1時間46分

練習時間は「微増」。

ふしぎなことに、「手の痛み」がほとんどなくなった。

ああ、はい、アタマが「ぶわぁ~」となっているうちに、痛くなくなってきた。

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ハノン

ハノン40番│半音階│長6度│合格

ハノン40番│半音階│長6度の楽譜、1-3小節

ハノン40番│半音階│長6度の楽譜、1-3小節

1回目、左手がおろそかになる。

私はよく、「左手は、とにかく黙っとって」をやっちゃう。

先生「右の手にも、左の手にも、すてきな音を乗せましょう

2回目弾いて、合格。

変ロ短調スケール│合格

ハノン39番 変ロ短調スケールの楽譜、1-4小節

ハノン39番 変ロ短調スケールの楽譜、1-4小節

スケールは、1回で合格。

半音階もそうだったけど、「音のつらなり」にうっすらイメージが重なる。

螺旋階段を見上げたり、見下ろしたりするようなイメージ。

そういうのが浮かぶと、うまくいくような気がする。

いま使っている楽譜 ハノンピアノ教本 全音ピアノライブラリー



「手の痛み」がなくなった理由

ハノンを終えて、先生が尋ねられた。

「音に響きが出てきましたが、手の具合はいかがですか?」

「はい、おかげさまで、もうほとんど痛くないんです」

「あ、それはよかったですね。

手の痛みについては、もうずっと話し合ってきましたが、どうでしょう?

いまもまだ、ある程度の痛みと、付き合いながら、という感じですか?」

あらためて、そう訊いていただくと、私はひどくとまどった。

あれ? なにか「ガマンするほど」の痛みは、まったくないよ。

それは……、曲について「物語」を考えるようになってから、痛くなくなったのだ。

私「あのう、ふしぎなんですけど……、

先生にいろいろ『物語』やイメージを聞かせてもらってから、痛くなくなったんです」

そうしたら、先生は「え? あれは勝手なファンタジーですよ」と笑っておられる。




私も、なぜそうなったのか、よくわからない。

なので、思いつくままに、

私「あのう、なんかすごく気もちが変わってきたんです。

『物語』が聞こえるかのように、弾きたいなあって、すごく思うんです。

それを『音にしたい』と思いながら弾くと……、『痛い弾きかた』にならないんです」

↑というのは、先生に話しながら、ふと、わかってきたことだ。

ほんと、ふしぎなんだけど、

・「手に負担のかからない正しいフォームで弾こう」と思うと → 痛かった
・「『物語』が聞こえるかのように弾きたい」と思うと → そもそも「手の痛み」の存在すら、意識していない

そうなんだよねえ。




だって、バッハでも「この小節から、この人物がこう語りはじめて……」とか、そればっかり考えて。

妄想炸裂。

いかにもそう聞こえるように、ああかな?こうかな?って、しつこく練習したけど、そういえば、痛いかどうか?なんて、ぜんぜん気にしていなかった。

主人公の気もちの乱れを、どういうバランスで音にするか?とか。

でも、私が、そんなふうに弾こうと思ったきっかけは、先生の「物語」が、本当にすばらしかったからだ。

てか、僭越なんだけど、先生の「感性」にあこがれるんだよねえ。

先生ご自身は、ピアノで、どの曲でもつねに物語が浮かぶとおっしゃる。

それどころか、ピアノを弾く以前、ごく幼いころから、歌の歌詞の一部を聞いても、その情景がしぜんに浮かび上がってきたそうだ。

先生は、「機械的に『弾けるようにしよう』と思うのは、ダメですよ」とも、おっしゃった。

なるほど。

手の痛みの原因は、そこらへんにあったのか。



バッハ:フランス組曲第3番 サラバンド│5回目のレッスン

バッハ:フランス組曲第3番 サラバンドの楽譜、1-4小節

バッハ:フランス組曲第3番 サラバンドの楽譜、1-4小節

「物語」をふくらませている。

▼19小節から、左手にあらわれる人物には、青い服が似合いそう。

バッハ:フランス組曲第3番 サラバンドの楽譜、17-20小節

バッハ:フランス組曲第3番 サラバンドの楽譜、17-20小節

でも、いやあ、弾いたらダメだった。

今日から暗譜だったし、やっぱりウロ覚え続出だし。

先生「物語は、ちゃんと聞こえます。

しかし、バッハの音楽としては、もっと抑制的にしましょう。

そうですね、『哀しい運命』を受け入れて、納得しているようなイメージで」

いま使っている楽譜 春秋社版 バッハ集 3



モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番K.282 第1楽章 変ホ長調│8回目のレッスン

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番K.282 第1楽章 変ホ長調の楽譜、1-3小節

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番K.282 第1楽章 変ホ長調の楽譜、1-3小節

これまでは、ほとんどペダルなしだった。

先生は、ペダルについて慎重なので、私もなかなか自分の判断で踏めない。

むかしは、ペダルなんてぜんぜん気にしなかった。

音をつなぐためとか、うっすらなんとなくとか、無神経に踏んでいたものだ。

でも、ピアノって、基本的にペダルなしで、ずいぶん響くし音も伸びる。

そんなことが、徐々にわかってきたので、先生からご提案があるまで、あまり踏まないようにしていた。

だが、今日は、「さいしょから、ペダルを入れてもいいでしょう」と、お手本を聴かせていただく。

とはいえ、先生「どこで踏むかは、あらためて、自分で考えてみてください」とのこと。




▼いちばん最後の一音。失敗率の高いところ。

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番K.282 第1楽章 変ホ長調の楽譜、34-36小節

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番K.282 第1楽章 変ホ長調の楽譜、34-36小節

ここも、ペダルを使って、成功率を高めることになった。

「最後の一音、手で弾いてから → ペダルを踏み → 手を離して → 足でじんわり切る」

そうすると、少なくとも「音の消え際」は、足で必ずコントロールできる。

でも、まず「最後の一音」を、弱音で確実に鳴らさないとねえ。

いま使っている楽譜 モーツァルト: ピアノ・ソナタ集 第1巻/ヘンレ社/原典版



ツェルニー40番の22番│1回目のレッスン

ツェルニー40番-22番の楽譜、1-2小節目

ツェルニー40番-22番の楽譜、1-2小節目

同じ音、連続4つ。

ぜんぜん知らなかったが、手をすぼめ気味にして、鍵盤のすぐ近くで、極力小さな動きにする。

「まるでゴマを振るように」

ゴマかあ。

そのぐらい軽い動きなんだなあ。

いま使っている楽譜 ツェルニー40番練習曲 全音ピアノライブラリー



今日のレッスンを振り返って

レッスンのあと、アタマの「ぶわぁ~」が、ほとんどなくなっていた。

なぜか、シンと静まり返っていた。

あ、そうか。

私は、ピアノを「きれいに弾きたい」と思っていた。

でも、単に「きれい」じゃないんだな。

そもそもピアノは、「弾く」のではなく、「語る」ものなんだな。

それをわかりたくて、これまで「ぶわぁ~」と、もがいていたのかもしれない。

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