「忌み嫌っていたヒト」を大好きになってしまった理由

日々のあれこれ

いまごろアレなんですが、昨日までツラツラ書いてきた記事は、ちょうど一年ぐらい前のハナシでして。

つまり「ココ1年3ヵ月にあった出来事」を拾って書いてるけど、ぜんぜん「いま現在」に追いつかない。

なんか「1年3ヵ月分溜めてた宿題」を必死こいてやってるみたいな感じ。

しかし、このペースだと永遠に「いま現在」に至らなさそう。

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よぉし! ここは思い切って「1年分を1記事」で書いてしまおう!

●2022年5月31日 ピアノのレッスンはこの日を最後に中断。

●2022年6月1日 音出し可マンション → 奇怪な一戸建てへ引っ越し。

●2022年6月30日 グランドピアノ売却。

●2022年7月11日 奇怪な一戸建て → 家賃18,000円アパートへ引っ越し。

●2022年8月 生ピアノはないし、レッスンも止めたし、虚脱状態が続く。




●2022年9月 ピアノはあきらめて、山を再開することをめざす。

●2022年10月 骨粗鬆症と診断される。

●2022年11月 変形性膝関節症と診断される。

●2022年12月 毎日リハビリしていても、最大20分しか歩けないので、わりと絶望する。

●2023年1月 ピアノに戻る。電子ピアノでの練習を再開。

●2023年2月 大和内観研修所で、一週間泊りがけで「集中内観研修」。ひたすら反省しつづける。

●2023年3月 根本裕幸先生の「ライフワーク・グループコンサル」に参加。

●2023年4月 ピアノのレッスン再開。

●2023年5月 7年間ほったらかしにしていた母(89歳)に、電話をかける。

●2023年6月 さらに深く反省して、母を施設から退所させて、在宅介護する計画を立てる。




あらら、やってみたら1年分書けたぜっ!

あっちゅー間に「いま現在」にたどり着いて感動しちょります。

そもそも私が「母のモトから脱獄」したのが7年前。

以来、私も妹も、母にはまったく連絡しなくなった。

そんな子どもの代わりに、母を助けてくれていたのは、母の「義理の弟」である。

私の叔父さんなわけだが、この方が、ホントウにやさしいひとでねえ。

3年前には、それまで独居だった母を、サ高住に入れる手配もしてくれた。

私はずっと、母に連絡するつもりはなかったのだが、そうだね、「集中内観研修」を受けたら、大逆転したな。

「集中内観」とは
それは読んで字の通り集中して行う内観であり、1週間、朝から晩まで、部屋の片隅に立てられた屏風の中に籠ってひたすら自分自身をみつめます。
その際に、課題探索連想法(真栄城)という方法で、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」という三項目に沿って身近な人(両親や祖父母、配偶者など)に対する自分を調べていく作業(さごう)です。
出典 https://naikan3.com/naikan/naikan-7days/





その結果、「母のいいところ」しか、目に入らなくなった。

ほんとふしぎなのだが、内観したあとは、母に対して抱いていた不平不満が、勝手に消滅してしまった。

いまとなっては、

「いったいどうして、私は、こんなにも、やさしいお母さんを恨んでいたのか?」

その理由すら、さっぱり思い出せない。

そして、あともうひとつ。

やっぱり、ピアノを弾けるといいなという思いがある。

で、私にとって「山」は、もう過去のことで、いま現在は「逃げ場」や「なぐさみ」になっていると気づいた。

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