だれに対してもそろそろ素直になりたいと思う理由

日々のあれこれ

そもそも人付き合いに興味がなく、ひとりつくねんと生きてきた私。

61歳のいま、90歳の母とともに暮らすことになり、あらためて「自分とヒトとの関係」について、いろいろ考えさせられる。

以前数年間、心理学についてある程度学んだ。

そのおかげで、自分の気もちや相手の気もちを、少しばかり「観察」できるようになった。

お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります!

にほんブログ村 シニア日記ブログへ にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ

とくに「自分のキゲンの悪さ」や、「だからスネてる」とか「なのでヒネくれている」だのに気づくようになった。

コレ、うっかり放っておくと、自分にも相手にもロクなことにならんのよ。

とくに、なまじっか相手がそばにいると、「相手にキゲンを取ってもらおう」としますな。

母ちゃんに対して、ああ、いま私、態度悪りいなあって、しばしば思う。

甘えているんだ。




あたしゃ介護してやってるんだ、このぐらい大目に見ろよって、付け込んでいるんだ。

母はといえば、なにも言わない。

たぶん思うところはあるだろうけど、黙っている。

むかしをよくよく思い出すと、母がそんなふうに、あえて黙ってくれていたことは、何度もあった。

けれども私は、むかしもいまも、「親だから許される」という甘えで、キゲンの悪さをムキ出しにしていた。

ソレはあかんやろ。

そろそろ止めたい、といまごろ思うようになってきた。

じつは、私がこのように「親に対する甘えを止めよう」と考えはじめたきっかけは、母の発言にある。

先日、母は私に対して、非常にあらたまって「お詫び」をしてくれたのだ。

7年前のことになるが、当時も私は、母の介護のために同居していた。




だが、母の要求水準の高さにヘキエキして、私は母のモトを抜け出し、自分のウチに勝手に戻ってしまった。

その後、母から数回連絡があったものの、私はもう取り合わなかった。

そういうヒドい仕打ちをしたので、さすがに私も、自分が悪いという自覚はあった。

にもかかわらず、母は、当時を振り返って、

「私はね、春ちゃんに甘えていたのよ。

自分がなにをしたか、覚えている。

いつも春ちゃんに怒っていた。

だから、春ちゃんは疲れてしまって、もう帰って来なくなった。

この7年間、いろいろ考えて、私は深く反省したのよ。

ほんとうにごめんなさいね

そういう母のことばに、正直なところ、とまどいはあった。




そして、自分の罪悪感も刺激された。

う~ん、お互いさまなんじゃないかなあ……

母だけが悪いんじゃない。

私は、表立って反抗はしなかったが、スネたりヒネくれたり、ゲリラ的な「復讐」はしょっちゅうやっていた。

それに、内観してようやく気づいたけど、やっぱりね、「親の愛」には到底及ばない。

どれほど子どもが裏切ろうとも、「親だけ」は、まるでなにも無かったかのように、すべて水に流してくれる。

ってことを、私はどこかでわかっているもんだから、なんか見くびってるんだ。

それが「甘え」だね。

自分の言動を振り返ると、どうもなあ、「素直じゃない夾雑物」が必ず混じっている。

母に対しても。他人に対しても。

それをやめたい。

やめます、もう。

同じカテゴリーの、つづきはこちら
90歳の母と同居してほんとうによかったのか?
母と同居してよかったのかどうか? じつのところ、「100%よかった」とは思えない。 それが実感。 私も母も目覚ましをかけない。 お手数ですが、どれかをポチして → またお戻りください。とっても励みになります! ...
同じカテゴリーの、前回はこちら
「だれかの満足度を上げたい」なんて、じつは「思い上がり」と紙一重
だれでもそうなりがちだと思うけど、「自分が基準」になる。 自分の起床・就寝時刻、自分好みの食事、自分好みの静けさとか、「自分の生活パターン」が当たり前にあって、それを他人に乱されたくない。 母の場合、もともと若いころから、その基...
タイトルとURLをコピーしました