私の「生きがい」はもう見つかっていたはずなのに│生きがいについて│その1

日々のあれこれ

私が実家を離れたのは、1995年、自分が33歳のときだ。

もっと早くにウチを出たかったが、母が過干渉であり、子どもと癒着していたので、ひとり暮らしは実現しなかった。

だが、1995年の阪神大震災で、自宅マンションが半壊。

おかげで、私は合法的に?親元を離れられ、以降はひとり暮らしの自由を満喫してきた。

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一挙にタガがはずれて、まずは山登りにのめり込む。

たまたま登った低山で、山の魅力に開眼し、ハイキングを1年ほど楽しんだあとは、あっという間に日本三百名山完登をめざすようになった。

約9年間、底が抜けたように登り詰め、延べ600山以上は踏んづけたかね。

このまま一生、「山ヤ」で終わるかな、そうだろうな、と思っていた。

だのに、ピアノのことがチラチラ気になってきた。

むかし、13歳でやめてしまったピアノだ。




もう自分が弾いていたことすら、忘れてしまっていたのに、なぜか未練が湧いてきた。

人生のうちで「やり残した重大なコト」として、ピアノがくっきり浮かび上がってきたのだ。

ただ、音楽に関しては、いまも、たいしてよくわかっていない。

子どものときは、なおさらいっそうアホすぎて、「音楽として、ピアノを奏でる」ってのは、まったくなんにも理解していなかった。

ほんのわずか、「音楽の真価」みたいなのを感じはじめたのが、40歳を過ぎてから。

まあ、CDを聞いていて、ちょっとばかり演奏者のちがいがわかるようになってきた。

すると、自分が「断然好き」と思えるピアニストが見つかった。

その後、十数年をへて、ようやく自分でもピアノを弾けるようになりたい、と思った。

では、ピアノのレッスンを受けようじゃないか。




もうそのころには、おこがましいけど「こういう演奏をされる先生に、レッスンを受けたい」と、ほんま図々しいんだが、身のほど知らずの好みが、がっちりと確立していた。

で、ユーチューブをわんさか聞き漁った末、ある方の演奏が、まさにその「超絶理想の演奏」だと、雷に打たれたように悟った。

で、これまた、厚顔無恥のきわみだが、いきなりその方にメールを送りつけて、「ピアノを習わせてほしい」と頼む。

不躾な申し出にもかかわらず、「では、いついつにおいでください」とご返報をいただき、さっそくズカズカ上がり込んで、どうしようもなくヘタクソなピアノを聞いてもらった。

それが、57歳のとき。

いまから4年半まえのことだった。

以前子どものころ、最後のレッスンが13歳の冬。

44年ぶりに、だれかのまえでピアノを弾いたよね、と気づいたのは、もっとずっと後になってからだった。

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