昨日の面会は、とちゅうで看護師さんが加わり、在宅での胃ろうケアのお話もあって、けっこう長い時間だった。
母は、おおかたの間、私にお礼ばかり言っていた。
「ありがとう、いつもお手紙、ありがとう。
何回も読んでるのよ」
いや、そんな大したこと、書いてないし。
「ほら、大切にしまってあるの」と、枕頭台の引出しを開けて見せてくれる。
そこには、封筒がきれいにそろえられ、きちんと収まっていた。
ああ、うう、ウチのなか、ぐちゃぐちゃなんだが、どうしよう?
母がいないと、とたんにダラけて、自分の部屋はもちろん、母の部屋まで持って行って、汚部屋化しつつある。
でも、とりあえず、目の前のちっちゃい母が、目を細めてよろこんでいるから、まあいいか。
去年の夏は、あんなに元気だったのに、いまは、なんというか、影が薄くなったかのようだ。
しかし、このヒトがよろこぶ姿を見るのが、私はいちばんうれしい。
ふと思ったけど、「私が生まれてきた理由」ってのは、このヒトから「よろこび」を与えてもらうためかねえって。
私はずっと「自分が、なにかをすること」ばかり探して、それなりに楽しんでいたつもりだった。
だけど、それはまあ、二の次で、本命はやっぱり母かなあ。そうだろなあ。
去年3月、根本裕幸さんのライフワークコンサルで、
「春子さんのライフワークは『お母さんのようなヒトを助けること』です」と言われた。
そのとき、はあ、そうですかね、と腑に落ちなかった。
べつに「お母さんのようなヒト」に興味がなかったからだ。
その後結局、「お母さん本人」に関わりたくて、いまに至るけど、このままでちょうどいい。
いや、「このまま」の母じゃ、あまりにもかわいそうなので、早くお持ち帰りしたい。
看護師さんが居なくなったあと、母はぽつんと、
「胃ろうにしてよかったわ」と言った。
ちょっとびっくり。
「痛い目に遭ったのに、そう思えるの?」
「そう。いまも食べたいものはないし。
でも、食べなくてもいいし。
あ、飲み物は飲みたいの」
「だったら、飲みたいって頼もうか?」
「看護師さんに悪いから、いいよ、みんな忙しそうで」
「いやいや、できるだけ口から飲んだら訓練になるしー」
せっかく入院しているのに、母は、周りのヒトに遠慮ばかりして、なにも言えないようだった。
飲み物は、主治医先生から「どうぞ飲んでください」と言われていたのに、看護師さんに言えずにいたらしい。
これは、あとで私から詰所にお願いしておいた。
そして、退院後、ウチに帰ってからは、私がシャワー介助するってこと、ものすごくよろこんでいた。
「おうちに帰って、いちばんイヤだったのが、お風呂のヘルパーさんだったの」と言う。
そっかー、ずっと困っていたのに、私に悪いと思って、ホンネを言えなかったんだね。
シャワーだったり、トイレだったり、部屋を片付けたり、そういうことなら、私はいくらでも手伝える。
ごくふつうの当たり前の生活ができるように、そんなことぐらい、ちゃんと整えよう。