ヒトに気を使い遠慮ばかりしてきた90年の人生

日々のあれこれ

昨日の面会は、とちゅうで看護師さんが加わり、在宅での胃ろうケアのお話もあって、けっこう長い時間だった。

母は、おおかたの間、私にお礼ばかり言っていた。

「ありがとう、いつもお手紙、ありがとう。

何回も読んでるのよ」

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いや、そんな大したこと、書いてないし。

「ほら、大切にしまってあるの」と、枕頭台の引出しを開けて見せてくれる。

そこには、封筒がきれいにそろえられ、きちんと収まっていた。

ああ、うう、ウチのなか、ぐちゃぐちゃなんだが、どうしよう?

母がいないと、とたんにダラけて、自分の部屋はもちろん、母の部屋まで持って行って、汚部屋化しつつある。

でも、とりあえず、目の前のちっちゃい母が、目を細めてよろこんでいるから、まあいいか。




去年の夏は、あんなに元気だったのに、いまは、なんというか、影が薄くなったかのようだ。

しかし、このヒトがよろこぶ姿を見るのが、私はいちばんうれしい。

ふと思ったけど、「私が生まれてきた理由」ってのは、このヒトから「よろこび」を与えてもらうためかねえって。

私はずっと「自分が、なにかをすること」ばかり探して、それなりに楽しんでいたつもりだった。

だけど、それはまあ、二の次で、本命はやっぱり母かなあ。そうだろなあ。

去年3月、根本裕幸さんのライフワークコンサルで、

「春子さんのライフワークは『お母さんのようなヒトを助けること』です」と言われた。

そのとき、はあ、そうですかね、と腑に落ちなかった。

べつに「お母さんのようなヒト」に興味がなかったからだ。

その後結局、「お母さん本人」に関わりたくて、いまに至るけど、このままでちょうどいい。




いや、「このまま」の母じゃ、あまりにもかわいそうなので、早くお持ち帰りしたい。

看護師さんが居なくなったあと、母はぽつんと、

「胃ろうにしてよかったわ」と言った。

ちょっとびっくり。

「痛い目に遭ったのに、そう思えるの?」

「そう。いまも食べたいものはないし。

でも、食べなくてもいいし。

あ、飲み物は飲みたいの」

「だったら、飲みたいって頼もうか?」

「看護師さんに悪いから、いいよ、みんな忙しそうで」




「いやいや、できるだけ口から飲んだら訓練になるしー」

せっかく入院しているのに、母は、周りのヒトに遠慮ばかりして、なにも言えないようだった。

飲み物は、主治医先生から「どうぞ飲んでください」と言われていたのに、看護師さんに言えずにいたらしい。

これは、あとで私から詰所にお願いしておいた。

そして、退院後、ウチに帰ってからは、私がシャワー介助するってこと、ものすごくよろこんでいた。

「おうちに帰って、いちばんイヤだったのが、お風呂のヘルパーさんだったの」と言う。

そっかー、ずっと困っていたのに、私に悪いと思って、ホンネを言えなかったんだね。

シャワーだったり、トイレだったり、部屋を片付けたり、そういうことなら、私はいくらでも手伝える。

ごくふつうの当たり前の生活ができるように、そんなことぐらい、ちゃんと整えよう。

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