「いいヒトと思われたい」とがんばりつづけて90年。
さすがの母も、限界のようだ。
母は、継母に育てられたことが大きなコンプレックスだった。
なので、とくに思春期以降は、他人から「継母育ちだから、やっぱりね」と思われるのを極端に恐れていた。
その反動として、明るく楽しいキャラを演じることを非常にがんばったのだ。
だから、周りのヒトに「あなたは、明るくて楽しいヒトね」と言われるのが、なによりの勲章だった。
しかし、もはや老いには逆らえない。
いま、なにが問題か?というと、訪問入浴のスタッフさんに対してのこと。
このスタッフさんたちに、「いいヒト」を演じすぎて、いまさら沈黙できなくなったのだ。
スタッフさんからは、以前すでに「明るくて楽しいヒトね!」との賛辞は勝ち取っている。
だけど、もう母は力尽きてしまった。
一日の大半をうつらうつら過ごし、私との会話も難儀なときもある。
そこまで衰えてきたので、もう「いいヒト演技」をつづける気力が尽き果てたのだ。
「もう……おふろがしんどい。
なにも言わずに、入っていられたら、どんなにかラクか……」
母はとうとう、私にそう洩らした。
「だれかから質問されたら、答えないわけにいかないし……」と顔をゆがめる母。
たしかに、急に無言になるのもむずかしい。
こういうときは、ケアマネさんだな。
私は、ケアマネさんに、
「母が、訪問入浴のとき、スタッフさんと会話がしんどいと言っています。
さいしょのころより、どんどん弱ってきています。
スタッフさんに、必要最小限の会話、たとえば、あいさつと湯加減ぐらいに、していただけませんか?」と頼んだ。
いつもお察しのいいケアマネさんは、すぐに、
「了解しました。訪問入浴のほうに連絡しておきます」と快諾してくださった。
さてその後、今日が訪問入浴だった。
母の部屋越しに、様子を聞いていたが、ほほう、スタッフさんたちは、こちらの依頼どおり、ほとんど会話を控えてくれている。
ちゃんと意識して、そうしてくれているのが、よくわかった。
ただ、気をつけているだろうに、どうしてもしゃべりたいヒトがひとり。
性分なんだろうね、このヒトはけっこう話していたよ。
それはもう、しかたがないことだから、私もちょっと笑ってしまった。
みなさんが帰ってから、母のところへ行ったら、
母「黙って目をつぶっていられて、すごくラクだった。
春ちゃん、ありがとうね」とよろこんでいた。
うんうん、やっと「いいヒト看板」降ろせてよかったね。