今日は、ようやく正式に面会だった。
ベッドに寝ていた母は、私を見るなり、泣き出した。
そして、か細い声で、「お花、ありがとう」と言った。
母の顔色は、それほど悪くなかった。
だが、左腕はいたるところ内出血で、全面紫色に変色している。
母「針をね……もう刺せるところがなくて……」
うわ……いまは右腕の上部に、点滴を差している。
母「お手紙も読んだけど、これも限界やね。
これだけで生きていかれへんから」
そう、私は、母宛の手紙にも、その末梢点滴だけなら、余命1~2ヵ月だと明記している。
いま母にも聞いたが、主治医は、この2週間の入院中、たった1度しか回診に来なかったそうだ。
もちろん、治療方針も今後のことも、主治医は、母になにも言わなかった。
だったら、情報を伝えられるのは私だけなので、すべてホントウのことを手紙に書いて正解だった。
母は、衰弱しているものの、いま現在も、入院前と変わらず明晰だった。
私の手紙も、何度も読み返しているそうだ。
母「鼻からの栄養って苦しいの?」
私「いや、ヒトそれぞれみたい。
イヤなヒトもいれば、ぜんぜん平気なヒトもいる。
1回試してみたらどうかな?
イヤならイヤで、抜いてもらえばいいだけだから。
胃ろうは、15~30分の内視鏡手術になるからね。
どんな手術もそうだけど、絶対安全とは言えないようだし。
まあ、段階を踏むとしたら、まずお鼻からかな」
「う~ん……」
私「ごはん、やっぱり食べられない?」
「……そう。
おうちにいたときと、いっしょよ」
「先生、1回しか来てないの?
三日前の月曜日の?」
「そう。
こんだけ入院してるのに。
ふつうはすぐ来はるでしょ?
誠意、ないよ」
「あの月曜日に、先生が回診に来たのは、先週私が『経管栄養もして欲しい』って文書出したからだよ」
「ほかの病院に移りたい」
「う~ん、むずかしいなあ。
あんな医者でもウマく使うしかしゃーないというか」
「……あのね」と、母は一段と声を小さくして、
「看護師さんも、ヒドいの」と言った。
うわあ、なにからなにまでヒドいんだなあ。
私「かわいそうだけど、でも、母ちゃんは生き延びることが第一だから。
周りのヒトがどうでも、割り切って、なんとか栄養を取れるようにしなくちゃ」
「そうだね。
私、春ちゃんともっといっしょにいたいもん。
だから、がんばろうと思って……」
私「あのう、延命治療をどこまでやるかって、それぞれだけど。
たとえば、意識がなくなってしまった状態で、それでも人工呼吸器をつけるとか」
「うんうん」
「そういうのは、考えたこともないよね、母ちゃんは」
「…………考えたこと、ない」
「でもね、母ちゃんは、前にちょっと言ってたけど……
たとえ、死亡と確認されたとしても、『しばらく焼かないでほしい』って言ってたでしょ?」
母ちゃんは「はっはっは!」と愉快そうに笑った。
いや、そうなんよ。
このヒト、前々から、
「死んでも1ヵ月は焼かんといてっ! 生き返るかもしれないからっ!」と言うとりましてな。
私「だからぁ、そういう考えのヒトだったら……」
「うふふ」と、まだ笑っている母。
私「人工的にでも、生きていたいんじゃないかなって思うけど。
どうでしょ?」
母「……春ちゃんの気もち次第」
「あ、私は生きてて欲しいよ」
「それでも?」
「うん」
「だったら、生きていたい」
「うんうん」
「ムダだけどね」
「ちっともそんなことないよ」
さて、ここで看護師さんに呼ばれた。
「先生が来られたので、病状説明をいたします」
私「あのう、私だけが行くのですか?」
「はい」
詰所に入ると、S山先生がまだ電話をしながら座っていた。
それが終わるのを待っているとき、さっきの母のことばを思い出していた。
そして、とてもうれしかった。
私は、母の意識がなくなっても、チューブだらけになっても、生きていて欲しかった。
まあ、その状態を問題視するのが、いまの傾向だろう。
医療費うんぬんも含めてね。
しかし、私は生きていて欲しかった。
で、母が「それでもいい」と言ってくれたのが、無性にうれしかった。