ピアノ、ヤバすぎ。
いきなり底抜けちまったよ。
まあでも、過去にいろいろ経験があるので、おう、またヤバくなっちまったと、すっげえよくわかるんだが。
「山」はわかりやすくて、さいしょの稲荷山(いなりやま/233m/京都府)で一撃を食らって以来、寝ても覚めても山のことしか考えられず、目の色変えて数百山登りまくってた。
そう、私は「落雷型」なので、たいてい雷が落ちてくる。だから「アレは何年何月何日の雷にヤラれたのがはじまりだった」としごく明確だ。
心理学セミナーも雷に打たれた。根本裕幸さんのセミナーに行ったのがいっちゃんさいしょだった。もう話聞いているあいだずっと雷落ちまくりで、この世にこんなすごいひとがいて、こんなすごい考えかたがあるなんて?!とのけぞりまくっとった。
中古マンションの売り買いとかクルマの購入も落雷バンバンで、雷が関与するとものすごく早く決まる。ぎゃっ、落ちた!ってわかるから何も考えないで「それ!」と即決になる。
だのに、ピアノにはなかなか雷が降って来なかった。
あ、ピアノの先生を探すときは、ちゃんとネットに落雷があったからOKだったけど、肝心の指に落ちてこない。なんかずっと曇り空ですっきりしなかったんだよね。
練習しているにもかかわらず、どうもたいして上達しない。もう少し手ごたえが欲しいのに、ない。
おかしいな。こんなにもピタッとハマらないのは、どうもヘンだな。もうちっと「密着」したいのにできていないな。
けどまあ、こないだようやく雷が落ちてくれた。ふう。
意外にもツェルニーという雷だったよ。びっくり仰天。バッハじゃなかった。
さぁて、雷が落ちたら「祭り」がはじまる。そういうことになっている。
毎日祭りで、みこしをかついで延々と練り歩くことになる。祭りの最中は祭りのことしか考えられない。行き先なんてわからない。
しかし、雷ってのは「ほんとうの自分」を直撃してくれる。その一撃でもって、対象との距離をゼロにしてくれる。
ああ、ピアノと私のあいだにあった、あの紙がはさまっているかのような違和感が消えたよ。
子どものとき、ピアノをめぐって親といろいろあったことも、すっかりぜんぶなくなった。さらに、いまのピアノの先生も遠くなった。みんな、さようなら。
私はいまひとりでピアノと、いる。
そうなりたかったんだと、やっとわかった。