二日前の外出で体力使い果たしてまだ復旧できず、それでなくてもテンポを上げられなくて悲惨なのに、そのまんまでピアノのレッスンに向かう。
ウチを出るまえにちょちょっと弾いてみるが、なんだろう、いつも絶望感しか湧いてこない。いちどでいいから晴れやかに誇らしげな気分でレッスンに行ってみたいものだが、そんな日は永遠にめぐって来そうもねーな。
さて、しょっぱなハノンで「姿勢」のご指摘を受ける。
しばしば先生は、ピアノとはかけ離れた独特のたとえ話をされる。先生は演奏を聴くと、視覚的触覚的なイメージがその場で湧いて来られるようで、それをキャッチしてことばに変換するときの様子は、まるで潜在意識からすくい上げて来た「なにか」に命名するみたいだなといつも私は思う。
今回の姿勢についても、先生は「あのですね、こんなふうみたいですが」と突拍子もなく、しかし言われてみればたしかにそのとおりのたとえを話された。ついで、ピアノの構造にもお話がおよぶ。
どういうことかというと、ざっくり言えば「ピアノに与えたい力が、まちがった姿勢によって一部失われていて非効率的だ」ということ。
なるほど、まことにそのとおり。自分でも身体全体の使いかたに違和感があったので、ここでちゃんと教えていただきエラく納得する。
ちなみにいま出ている課題は、軒並みぜんぶタカタカ系であり、ツェルニーでがっちり基礎を固めて、バッハでもソナタでも応用できるようにしないといけない。
▼ツェルニー40番の9番
これがダメなんだよ。ダメダメなんだ。
なんか軽く衝撃すら感じるけど、結局基礎ができていないから「ドレミファ|ソファミレ」もちゃんと弾けないのである。
ピアノを再開して2年経つ。ツェルニー30番、インベンション、シンフォニアが終わった。
だのに、ほんとうは「ドレミファ|ソファミレ」も正しいフォームで弾けないのが実情である。この誤ったフォームのままではテンポを上げられないのだ。いずれ崩壊する。
しかたがない。いまからひとつずつ習得するのみだ。片手ずつ「ドレミファ|ソファミレ」をスローモーションのように超低速で動きを学ぶ。たかが「ドレミファ|ソファミレ」であっても上行はごくわずかにエネルギーが増し下行では減る。それをうつくしく表現する。いちおうゴールはわかったつもりになる。
▼バッハ:フランス組曲第6番ブーレ → ミスタッチ多すぎ、また不合格。ここしばらくツェルニーとモーツァルトソナタに注力してたので、やっぱりバッハまで手が回らなかった。
▼モーツァルト:ソナタK332 へ長調第3楽章
これも速い曲のはずだねえ。でも、まだ速く弾けない。
しかし、こういうのをちんたらちんたら弾いてしまうと、いったいどうしてこの曲をわざわざ弾いているの?ってなっちゃう。
う~ん、けれども、いや、けっこう弾いてみたいんだよ。
なんかここで、いやいや、速い楽章はけっこうです、まあまあでいいですとも思わない。
ほんと自分に正直になったら、正しいやりかたで速く弾けるようになって、この3楽章をパリパリ弾けたら、そりゃあうれしいよなあ!って思う。
なので、どれもこれもタカタカばかりでタイヘンで、けど、あたしゃもともとタカタカが好きなんで、好きなら好きでそれなりに速く弾けるように、正しい姿勢でねちっこく練習しよう。