「1時間かけて100メートルしか進めない」という生きかた

以前山登りをしていたころ、マイナーな山中でひとりの年配女性に出会った。

そもそも単独行は少数派だし、それも女性はかなり少ない。私は、登山塾に入っていた数ヵ月をのぞいて、あとはぜんぶ単独なのだが、こんな変人はめったにいない。

なので、その年配女性を見て、ほう、こりゃ相当山慣れた人なんだなと思ったが、立ち話をしていたら案の定、べつに女性ひとりで辺鄙な山だろうがどうってこたあない様子だった。

どんな山を登ってきたのか興味深くさぐりを入れて、ほうほう、たいしてもんだねえと感心していたら、そのおばさんも私の底抜け具合をすぐに察したらしく、「ああ、でもうちの主人なんてヤブ山専門だからねえ」と言われる。


「え? わざわざヤブ山ですか?」
「そうなの。ヤブが好きで、ひとりで県境やったりとか。それがいいんだって」

ヤブ山というのは「登山道のない山」である。そもそも登山道というのは、ちゃんとヒトの手で切り開いたものである。そりゃ山ん中に「道」なんかないのがふつうだ。

で、だいたい山登りをしないひとからすれば、登山道であっても岩ゴロゴロとかすげえ段差とかくずれてるとかで仰天するはずだが、ええと、「ヤブ漕ぎ」ってどんなふうに説明したらええんやろ?

「一般登山者」がごくたまに遭遇するのは「笹のヤブ漕ぎ」だ。笹といっても背丈を越える高さの笹が猛烈に密生して登山道におおいかぶさっている。前後左右笹の海で視界ゼロである。その笹の海を気合い入れて両手でかきわけてジリジリ前進する。別名「平泳ぎ」ともいう。


まあでも、そういうのは地面に細い道がかろうじて判別できるので、その「踏み跡」さえはずさず執念深く1時間も漕いでいたら、たいていふつうの登山道が出てきてほっと一息つける。

あ、しかし本州限定かも。北海道はおもくそタイヘンで、私はかつて5時間以上「平泳ぎの刑」に処されたことがある。そのときは丸二日間だれにも出会わず、三日目にはじめてヒトを見かけたらさすがにうれしかったよ。

けれどもそんなのは「ヤブ専」のひとからしたら鼻先で嗤われる程度であってヤブのうちに入らない。

「確固たるヤブ」というのは、文字通り「地に足がつかない」ほど灌木やらなんやらかんやらにおおわれており、その密生地にカラダをムリヤリねじ込み、繁茂するヤブと全身で格闘しながら登るのである。別名「空中戦」という。1時間に100メートル進めば御の字という世界だったりする。


奥さんの言っている「県境をやる」というのは、「地図上の県境を忠実に踏破する」ことである。それやってるひとがいると読んだことはあったが、なにせ登山道がない部分はヤブとの戦いだから、ほんま「奇矯な趣味趣向」なんだよね。

でも「ヤブ専」のひとはそれが好きなのだ。ただ単に好きこのんでやっているのだ。

登山って、国内をあらかた登り尽くしたら海外に目を向けるのがひとつのパターンかな。私も、ひとりでテント泊縦走とかしていたら、ときおり「あんた、そろそろ海外だね」とか「日本で満足してちゃダメだよ」などと声をかけられた。

やっぱりキリマンジャロとかモンブランとかマッターホルンとかヒマラヤのなんとかって、わかりやすくてかっこいい。だれかに話してもみんな「ほほう」と感心してくれる。


しかし、そんなかっこよさとはまったく対極にあるのが「ヤブ専」かもしれない。だれもが敬遠するヤブにわざわざ突入してひとりでもがいているだけで、それによろこびを感じるのが「ヤブ専」なのだが、いやあ、なかなかにしあわせな人生だよね。

ピアノ、相変わらず「ドレミファ|ソファミレ」をねちねち練習している。超低速でひたすら「ドレミファ|ソファミレ」である。「2秒に1音」という遅さである。

ヤブといい勝負のスピードなのだが、べつにねえ、20kgの荷物背負わんでえーし、灌木でメッタ打ちされて顔面キズだらけになるわけじゃねーし、空中でどうやって用を足したらいいのか悩む必要もねーし。

私は「ヤブ専」的生きかたにあこがれるから、まだまだ「ドレミファ|ソファミレ」やりまっせ。

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