明日がピアノのレッスンなので蒼くなっている真っ最中だ。
ああ、なぜにどうして課題をまんべんなくさらうことができないのだ?
2年前にレッスンを再開してから後、「ハノン、ツェルニー、バッハ、ソナタ」を均等にどれもほどほどに仕上げて持って行ったことねーんだよ。
バッハが好きだから、ついついやり過ぎて偏って、いつもレッスンではとくにツェルニーとソナタがぜんぜんダメだった。
それを、今年4月下旬から反省してあらためて、「ハノンとツェルニー、がんばるべ」にしたけど、そしたらこんどはバッハとソナタがめためた貧相になってもうた。
ほんま、ごくごく単純に「練習不足だと → ぜんぜんダメ」「まあまあ練習していると → まあまあ弾ける」が反映されているだけだ。
ツェルニーでも、レッスンで「左手がぜんぜんデキていません」とご指摘されて、ひええって鬼のように左手ばっかし練習していったら、次の週に「左手はデキています。でもこんどは右手がダメですね。ヘンですね」
いやあ、それはもう「ほぼ左手しか練習していなかった」からで、私にしたらヘンでもなんでもないんだけど。
かように「練習時間にぴったり比例して、デキの悪さが露呈してしまう」のだが、原因が丸わかりだからまあいいか。
世の中「すごくがんばっているのにちっとも結果が出ない」ことのほうが多いだろう。ピアノの練習だって「ものすごくやっているのにウマくならない」というひともいるかもしれない。
私は、その「ものすごくやる」のはバッハだけだった。でも、そしたらバッハだけはわりと順調にマルにしていただけた。
インベンションもシンフォニアも終わり、フランス組曲第5番もおしまい、いまはフランス組曲第6番の最後のジーグをもたもたやっている。
けれども、そんなふうに進んでいるのはバッハだけで、ツェルニーもソナタも、まあもう一曲を何週間も何ヵ月も練習しつづけていて、どれもこれも終わらない。
▼モーツァルト:ソナタK332 へ長調
このソナタね、1月中旬から弾いとりましてな。いま第3楽章にようやくたどりついたけど、なんぼなんでも半年近くもやってるなんて。気が遠くなる。
まあね、要するにこのソナタ、練習がめっちゃ手薄だからこんなありさまなんだよ。
で、ちょっと前までは、モーツァルトはもうええかなあ、バッハのほうがええな、などと思っていたのに、それがさあ、ツェルニーやり込んで、ちょっとばかし指が動くようになってきたら、おりょ? モーツァルトもええんちゃう?と思えてきた。
まだまだだけど、ツェルニー効果で指にちょびっと余裕が出てきたら、モーツァルト弾いていても楽しいんだよね。タカタカが小マシになったり、和音がバラけなくなったりしてきたら、やっぱ弾いてておもしれー。
あと、メトロノームを一個ずつ上げたり下げたりが好き。メトロノーム大好き。死んだら↓コレ棺桶に入れてくれ。妹よ、頼んだぞ。
それで、ツェルニーと仲良しになってきたら、ベートーベンも弾きたくなっちゃった。
ああ、バッハひとすじのはずだったのに、なんかツェルニーさんのおかげで人生狂わされているような気がする。