そろそろ「子どもでいること」を卒業できそうかも

スーパーで買った総菜が、めずらしく腐っていた。

私は料理をまったくやらないので、おかずはスーパーで買っている。

ごはん(白いごはんね)はアマゾンでパックご飯を購入している。茶碗もいらんし。「定期おトク便」だと15%OFF。めんどくさくてメシなんかもう一生炊けねーよ。

ウチの母ちゃんも料理しなくてね。まあでも、私が小学生のときまではシブシブでも作ってくれたな。そのあとはなにも作らなくなった。弁当もずっとなし。夕食とかもあまり食べるモンがなかったね。


そのことを不満に思ったりしていたが、いま子育てYouTubeとか見ていたら、ああそうか、あんなに料理嫌いだった母ちゃんでも、きっと離乳食とかは作ってくれたんだ。むかしは離乳食も売っていないし。オシメも替えてくれたんだな。赤んぼ育てるなんて、料理どころじゃないほどタイヘンなのに、いろいろやってくれたんだなと感慨深い。

んで、今日の腐っていた惣菜ね。

長年スーパーの総菜のみで生きてきたが、めったに腐っていないから驚いた。しゃーないからソレは捨てて、玉子かけご飯にした。玉子は2個で。

さらに、とある書類が郵送されてきたものの、片面しか表示されていなかった。正しくは、両面の書類である。


ったく、ソレに記入して返送しないといけないのに。きっと裏面のコピーを忘れたんだな。

両面印刷されたものを、もういちど頼もうかと思ったが、ネットで探したら同じ書類が見つかった。

それを使うことにして先方さんにはなにも言わなかった。

おやまあ、日ごろ文句ばっかり垂れてるおまいが、なんでそないにおとなしいねん?

ふと気がついたけど、ほんま惣菜にしても書類にしても、以前だったらネチネチ腹を立てていたはずなのに、はれ? べつに気にならへんで。


それはだな、そんなこたぁどーでもいいんだよ、あっはっは。

いまピアノでてんてこ舞いだから、まあもう、そげな細けえこたぁどーでもよろしい。

そうそう、山に夢中になっていたときも、ありとあらゆることがどーでもよくなっていた。

ただし! 例外がひとつだけあって、それは天気だった。天気がよかったら天国ね。悪かったら地獄ね。それだけである。

当時、私がなによりも好きだったことばは「明日はおだやかに晴れるでしょう」だった。ぱああっ。


「私がしあわせになれるかどうか?」は「降水確率」のみで判定が下った。
心理学なんていらんかった。

人生のすべてが、天気しだいで決定されてしまうなんてどうにも納得できない。

あいつ(天気)の正体をあばいたるで。

なので、天気の勉強していちおうあらましはわかったけど、いやあ、山の天気はわかんねーんだよ。下界よりわりぃんだよ。アテになんねーんだよ。


そのうちやにわにピアノ弾きたくなってね。電子ピアノ買って、バイエルの練習はじめたわけ。

バイエルの楽譜見たら、あんれまあ、♪が音符に見えなくて。♪が天気記号に見えたわ。天気図の見すぎ。

とかやってるうちに、心理学セミナーが気になっちゃってあちこち通っているうちに、親問題を根っこからほじくり返すことになった。

ピアノは、子どものころ習っていたけど、13才のときに辞めさせられたんだよ。そこ、ずっと引っかかっていて、だからピアノをきっかけに親のことがズルズル出てきた。

まあね、さいしょに電子ピアノを買いたくなったとき、うすうす気づいていたね。ああ、これはたぶん親と向き合わないといけないんだなって。


うん、けれども、「いまやっているピアノ」は、もう「子どものときのピアノ」とつながっていないのだ。

そうなのだ。すっかりブツッと別のモンになっている。

もうそろそろ「子ども」はおしまいだ。

やっとね。13才の自分にさようなら。

これから「新しい物語がはじまる」のだ。

それは「本来の自分」が作る物語なんだよ。

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