三日後に父の火葬をひかえており、やはりなにかと落ち着かない。亡くなったのは去年3月だが、大学医学部に献体したため、こんなに遅く火葬に付される。
都市部とか大学医学部がある自治体なら、献体がどんなものか市役所でもよく知られているだろう。そういう市役所だったら、死亡届を出して「火葬許可証」をもらうときに「火葬は来年の夏ごろです」と伝えても、役所のひとが「献体ならそうですね」とスンナリ対応してくれるはずだ。
でも、ウチの市役所はちがった。去年の4月のことだが、戸籍の担当のひとたちは、だれも「献体とはなんぞや?」ということを知らなかったのだ。いちおう私が「3月31日に亡くなって、当日医学部のかたが遺体を引き取りに来ました。次の年の春に医学部の学生さんが解剖実習します。その実習が終わってから、夏ごろに火葬になります」と言ってみたけど、みんな首をひねっており、「葬儀屋さんはどうなっているんですか?」とか尋ねられる。いや、葬式もしないんだよ。
さらに「斎場はここしか使えませんよ」とも言われる。いやいや、献体したのはここから500キロ離れた大学だから、もうその近くの斎場で火葬にするんですけど。その斎場の名まえを確認するために、私は大学医学部の献体担当のひとに電話をした。
献体担当者さんには「え? まだ死亡届出していなかったんですか?」と開口一番にちょっと叱られた。ああ、すんません、5日も放ってました。だってしんどかったんだもん。3月31日に亡くなって、4月5日にやっと市役所に行った私が、そうです、やっぱりグズですわい!
でもまあ、斎場の名まえを教えてもらって、それからいろいろ話していたら、その電話の様子を見ていた市役所のひとたちもなんとなく事情が呑み込めてきたようだ。そのあとも三十分ほど待たされたけれど、ようやく「死体火葬許可証」をもらうことができた。市役所のひとたちはすごく謝っていた。
あとで気づいたけれど、やっぱりウチみたいな田舎では献体するひとはめったにいないんだなあ。だから市役所はなんのことかわからなかったんだ。しかし、ウチの隣の市には大学医学部がある。そこもまあまあ田舎なんだけど、きっとそこの市役所だったら慣れているにちがいない。
大都市では献体希望者が多いそうだ。「医学に貢献したい」という理由もあるが、最近では葬儀費用をかけたくないという理由も増えているようだ。ウチは確かに貧乏だが、もともと父は若いころからずっと「献体したい」と言っていた。昔からしょっちゅう聞いていたから、みんなフツウにホイホイ献体するもんだと思っていたけど、そうでもないんだな。
献体先を探すのは全部妹にまかせてしまったが、かなり苦労したらしい。一時は「歯学部」というのも検討していた。献体希望者が増えて医学部では受け入れしていなくても、歯学部ではまだ必要としているところもあるようだ。けれども、妹の尽力のおかげで最終的にはとてもいい大学医学部に決まった。
ここしばらく、父はどうしているかなあとよく考える。4月はじめに医学部の学生に囲まれて、はじめてこわごわメスを入れられて、でもたぶん、6月になったら学生さんたちも遺体に接するのにもすっかり慣れて、どんどんさばかれていっただろう。ネットではそういった解剖の情報もすぐにわかる。
6月の終わりにはすべての実習が終わり、臓器も全部お棺に戻されるそうだ。皮膚は? どうだろう? 縫うのかどうか、そこまではわからなかった。
けれども、いまはもうすっかりすべてが終わって、もうだれも父に触れるひとはいなくなって、ただそのままひっそりお棺のなかに横たわっているのだ。寂しがり屋の父だったから、きっと実習中は楽しかっただろう。若いひとたちに取り囲まれてね。でも、いまは寂しいはずだ。早く迎えに行ってあげよう。
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