父の献体後火葬 その2

ほどなく医大の献体担当者Sさんがクルマで到着した。五十前後の男性で、電話の印象どおり穏やかそうなかた。あいさつを交わしたのち、しばらくしたらSさんが「あ、お父さまが来られましたよ」と言うので、出入口を見ると黒塗りの霊柩車が停まっていた。

外に出て見守っていると、白木のお棺が運び出され、大きなストレッチャーのような運搬機械に移された。お棺を見るのもはじめてで、このなかに父が納まっているのかと思うととまどってしまう。言われるがままにお棺の後ろに付き従い、小さな部屋に入って行った。

その部屋はどうやら最後のお別れをする場所だった。あらかじめキリスト教式と伝えていたので、Sさんは「ご焼香はされないのですね」と言われた。私が「はい、少しだけお祈りとかをさせてもらいます」と答えると、Sさんと斎場スタッフさんは部屋を出て行かれた。

急にしんと静まり返ると、悲しみがこみ上げてきて涙があふれた。お棺には父の名まえが記され、花束が添えられていた。このなかに父がいるのに、そうなんだ、もう動けないんだ。少し茫然としてしまったが、ふと時間が気になり、主の祈りや讃美歌をプリントしておいた紙を取り出した。長い間教会に行っていないし、主の祈りもソラで言えない。

父のお棺を見つめながら最初に「聖なるかな」を歌ったけれど泣きながらとぎれとぎれだ。次にお祈りをして、それから主の祈り。そのころ、隣とおぼしき部屋からはお坊さんの読経が聞こえてきた。ああ、みんな別れを惜しんでいるんだなあと思うと、少し気もちがやわらいできて、だんだん声が出るようになった。

最後に「主よみもとにちかづかん」。この讃美歌は好きだったし、父に聞いてもらいたい思いでゆっくり3番まで歌えた。部屋の扉を開けるとSさんとスタッフさんが入って来られ、「それでは、お開けしますね」と言っていきなりお棺全面の大きなフタをガバッと開けたので、ちょっとびっくりした。

やわらかそうな布張りのお棺のなかをのぞくと、ひとのかたちが小さく盛り上がっていて、それは上から下まですっぽりと艶やかな白い布で覆われていた。Sさんは静かに「お顔を見ることはできないんですが」と言われ、「こちらがお顔のほう、そちらがお足元になります」と手で示された。

そして、Sさんは両手をお棺に入れて「こちら……お顔です」と言って、父の頭の部分にあてがうようにした。それから体の真ん中あたりで「ここに……手、ですね」と触れ、最後に「こちらがお足元です」と下のほうに手を添えた。

Sさんに見習って、私は父の顔のあたりに手を置いてみた。白く分厚い布の下にはビニールの感触があった。解剖しちゃったもんね、しかたないよね。父の肌に触れることはかなわないけれど、頭のかたちをそっとなぞることはできた。

最期に病院で看取ったときにも思ったけど、父は本当に小さくなってしまっていた。元気だったころはガッチリと頑健な体つきだったのに、脳梗塞になって2年も寝たきりで過ごすうちに、すっかりやせ細ってしまった。それでも85才まで長らえてくれた。

手や足には少ししか触れられなかった。パリパリ小さな音を立てるビニールに気後れしたし、Sさんにも気兼ねしてしまった。心残りではあったけど、お棺のなかに手紙とお菓子、花束を入れて、最後にもう一度顔のところをなでさすって、それからお棺のフタをしてもらった。

父のお棺はふたたび運搬車で移動され奥のほうに運ばれた。そこにはカマがズラーッといくつも並んでいた。そのひとつがすでに開けられており、お棺は見る間に奥へ滑り込んでいった。少しだけお祈りをささげる。そして非情にも扉は閉められ、スタッフさんが横にあるボタンを押した。

と、そのスタッフさんが私に、プラスチックの札が付いた鍵を渡す。「これが炉の鍵です。のちほどいただきますのでお忘れになりませんように」

ああそう! 「炉」ともいうんだ。ああ、いま目の前で閉めたもんね。つまり取り違えはありませんよ、ということで鍵を遺族に渡すわけだ。

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