父の献体後火葬 その1

ようやく気もちも落ち着いてきたので、父の火葬について記録しておく。

火葬前日の2017年7月18日、飛行機で出発する予定だったが、空港付近で雷雨がはげしくて約1時間も遅れた。出発する飛行機が滑走路の周りにめっちゃんこ溜まっていて、みんな行儀よく詰め詰めに並んで待っている。1機が離陸すると、ちょびっとずつ前に進むのだが、ずら~っと並んで待っている飛行機たちがかわいくてオカしい。父も飛行機が好きだったので、こりゃあ父ちゃんに見せたかったなと思うことしきり。

この日は前泊するだけなので私は遅れても大丈夫。現地の空港には13時50分到着。そこから列車で移動して18時15分にカプセルホテルにチェックイン。近くのローソンで父が好物だったプチシューを探したが売り切れ。スタッフさんに訊くと「明日8時に入ってきます」というので確保をお願いする。

その後、感じのいいカフェでのんびり夕食。20時15分にカプセルに戻り、大浴場、サウナを満喫してから22時就寝。

翌7月19日、ちょうど8時にローソン前に配送車が停まっていて、無事プチシューをゲット。それとアンパンも買う。

去年3月父が亡くなる前日、妹とふたりで父が入院している病院へ行ったとき、父は私たちの姿をみとめるとかすかな声で「ありがとう」と言ってくれた。妹がプチシューのクリームを口元に持っていったが食べようとしない。ふたりで「どうしたの? アンパンがいいの?」と訊いても反応がうすい。

それで、ホワイトボードを持ってきて右手にペンを持たせると、「アンパ……」とはっきり書いた。ふたりで「やっぱりアンパンだ」とどっとウケる。「明日持ってくるね」と言っていったん病院をあとにした。そんなに元気だったからあと一週間はもつかな?と思っていたのに、翌日の午前中には旅立ってしまった。

というわけで、父の厳かな最期のコトバは「ありがとう」ではなく「アンパン」になってしまったのだ。なのでアンパンは欠かせない。

さて、最寄り駅からはタクシーで斎場に向かう。車中で献体担当者のSさんに電話をすると「10時半のカマですと、9時50分にしか受け入れてくれないので、入り口右の椅子に座ってお待ちください」とのこと。献体の書類には「十時三十分 点火」と書いてあった。ああそう、「カマ」とも言うんだ。

9時半に斎場に着いて、Sさんが言っていた椅子に座って緊張して待つ。どうやら「10時半のカマ」にはあと2組あるらしくて、お棺を移動させる巨大なストレッチャーのような機械が3つ待機してあった。ほかの2組の葬列者たちも続々と集まってきている。

みんなちゃんと喪服を着ているひとばかり。私は喪服を持っていないので黒のカーディガンを羽織っているだけ。葬儀会社のひとも忙しそうに立ち働いており「36名様でしたね」と聞こえてきた。へえ~、ふつうはそんなにたくさん参列するんだとびっくり。

私は火葬に立ち会うのはこれが2回目。1回目は母の養母が亡くなったときだが、まだ8才だったのでうっすらとしか記憶がない。私は人付き合いがないので、葬式も結婚式も出席したことがない。まあ、それで困ることはないけれど、やっぱり変わり者だなあと思う。

ただ父も飛び切り変人だったので、野辺送りが私ひとりでもちっともかまわないだろう。「どうでもええんじゃ」というのは父の口癖だった。大したお供えができなくても、まあいいかと思いつつ、小さな紙袋に手紙、プチシュー、アンパンを入れて、そろそろかな?と父の到着を待つ。

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