山登りの意欲がなくなった理由|遠方の心理学セミナー その14

続いて「がんばってきた自分を手放す」というイメージワークが行なわれた。私は、本格的なイメージワークは今回がはじめてだった。まず、全身の力をすべて抜いて、限りなくダラ~ッとイスにもたれかかる。そして、目を閉じて、カウンセラー先生のコトバを元に、浮かんでくるイメージをアタマのなかに思い描く。

こういったセラピーでは、イメージが湧きやすいひと、そうではないひとといろいろだが、たぶん、私はかなり湧いてくるほうだと思う。以前、短めのイメージワークをやったときに、映画のスクリーンみたいにド~ンと見えてびっくりした。まあ、きっと私は「アブない系」の人間なのだ。

今回、まずは「背負ってきた荷物を手放すイメージワーク」。先生が静かにポツリポツリとコトバをかけていく。私はじきに深いところに降りて行ったようで、先生のコトバがあまり耳に入らなくて、ただ目の前にイメージだけが見えていた。映画のスクリーンのようだが、かなり薄暗い。

ふと気がつくと、山を登っている自分の姿が見えた。登山道の両側はかなり切り立っていて、鋭い稜線の上を歩いている。昔使っていた赤いザックを背負っていて、その上にはテント用マットがくくりつけられている。ああ、夏山をテント泊で登っているんだな。たぶん15,6kgくらいの重さかな?

そんなことを考えながら、ジリジリ登っている「自分」をながめていたが、先生から「さあ、背負っている荷物をおろしてください」というコトバが聞こえてきた。すると「スクリーン上の自分」は、よっこらせと背中のザックをおろしてしまった。そして、その「自分」はそこにザックを置いたまま、何も頓着することもなく、そのままゆっくり歩き出した。

ええっ?! ザックを置いて行ってしまうんかい?! 山でそんなことをしたら自殺行為だよ。私は心底あきれ返ってしまった。しかし、スクリーンの「自分」はすっかり身軽になって、ゆっくりポテポテと道を歩き続けている。ふうん、そうか、もう重たいザックを背負いたくなかったんだな。

すると、突然ひらめいた。ああ、そうか! そういうわけで最近の私は山に登ろうと思わないんだな! その直後に気づいたが、要するに「登山」という趣味は、残念なことに「他人軸」ベースだったのだとようやく悟った。

これには非常に苦い思いが湧いてきた。過去の私は、山登りが大好きで延べ400山ほど登ってきたし、自分は純粋に山を愛していると思っていただけに相当ショックだった。そうか、私は「山を登る」という行為すら、「だれかに認められたい、だれかにスゴいと言ってもらいたい」という他人軸原動力でやっていたんだな。

ああ、もう何もかもなくなっちまったよ。私は、フテくされたような、降参しきったような、でも解放されたようなグチャグチャの気分に襲われて、ボロボロ涙をこぼしていた。

ワークが終わってゆっくり目を開けると、私のように泣いているのはもうひとりだけで、あとの4人はふつうの表情だ。先生が「それでは、いまのワークで感じたことをみんなで話してみましょう」と言われたが、そんなモンねえ、いまここでわかりやすくしゃべれるわけないだろ。そこで、適当に無難な感想を短く話しただけ。

それにしても、これまで私が山に懸けてきた情熱はどうしてくれるのさ? こんなに理不尽な結末ってないだろ? 全部チャラになるってありえへんわ~と絶叫したかった。はあはあ。

でもまあ、テント泊登山というのはかなりハードだったから、いまここで「いや、これからはあんなモン、背負わなくていいです」と言ってもらえてホッとしているのも事実だった。そうか、そうなのか、もう修行のような登山とはさようならをする時期が訪れたのだな。

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