「未来の私」と対面する|遠方の心理学セミナー その16

私にとっての「成功したひとのイメージ」が、ピアニストB氏と父だったのは、あまりにも衝撃的だった。「ピアニストB氏」というのは、私ごときがそのひとの本名をブログで公開するのがはばかられるので、B氏と書いている。B氏と父は誕生日が3ヵ月違いで、B氏は存命中で86才、父は昨年亡くなった。

私が最終的に進む方向は、やはり「音楽」なのかなあとぼんやり考えた。私にとって音楽は、いちばん純粋さを感じられる世界だ。そして、それを教えてくれたのは父なのだ。父に感謝していることのひとつに、父自身が作曲家や演奏家を敬愛していて、その態度を子どもに自然に示してくれたことだ。

私が小学生のころ、うちのなかはいつもレコードが鳴っていて、ときたま作曲家や作品のエピソードを話してもらったり、家中が音楽を尊敬する空気で満ちていた。そうだよね、あの父があってこそ私は幸せでいられるんだよね。

いちばん最後のイメージワークは「未来の自分のヴィジョンを見る」ワークだった。カウンセラー先生に誘導されて、すぅーっと深いところに落ちていく。しばらくすると、前方に大きな扉が現われてきた。観音開きになっている扉で、古めかしく大きな木の扉だった。

その扉に両手をかけると、扉にほどこされた彫刻の凹凸が手のひらに感じられて、思わず手を引っ込めた。イメージで触感までリアルに伝わってくるのが怖い。しかし先生の声が聞こえる。「その扉を開けてください。そのなかには『未来のあなた』がいます」

私はふたたび扉に手をかけて、ゆっくりと押し開いた。その部屋はほの暗かった。少し奥まったところに、ひとりの女性が椅子に座ってこちらを見ている。ああ、あのひとが『未来の私』なのか! こんなカタチで『未来の私』と対面できるとは……

「彼女」は老いた女性だった。顔にはいくつもシワが刻まれていた。そして、静謐さをたたえたまなざしをじっとこちらに注いでいた。このひとが本当に『未来の私』なのだろうか? 思わずその顔立ちが自分に似ているかどうか探ったが、似ているようでもあり別人のようにも見える。

彼女はグレーの光沢のある服をまとっていて、そのヒダの陰影が美しい。椅子はアンティーク物のようだ。視線を顔に戻すと、やはりじっとこちらを見ている。その様子に気圧されてつい目をそらせてしまう。

しかし、勇気を出して彼女と向き合ってみた。すると、強いメッセージが感じられた。

「私はあなたを愛している」

ああ、そうなのか、とただ感じ入った。そして、もうひとつのメッセージが彼女から発せられた。

「捧げなさい」

ああそう、捧げるということに行きつくというの? やっぱりそうなのか。「自分」を捨てるところがめざしどころなのか。「自分」を捨てて「我欲」を捨てて、「捧げる」ということが求められているのだ。「捧げる」にふさわしいものを、ああそうだ、私は持っている。それはやはり音楽だ。

ふたたび目を合わすと、彼女のまなざしは、ほんの少し温かみを帯びた。私はそのまま後ろに下がって、部屋の外に出て、それから重い木の扉をゆっくりと閉ざした。

ふと現実に呼び戻されて目を開けると、そこはただのセミナー会場で、長い夢からいきなり醒めたようでとまどった。アタマがふわふわして落ち着かない。先生の声も耳には入るけど、理解ができない。いま見た幻影はなんだったんだろう?

私はぼーっとしてしばらく動けなかったが、あっという間にワークショップは終わってしまって、もう懇親会の準備がはじまっていた。

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