はじめて母の愛に気づく|遠方の心理学セミナー その17

セミナー会場にて、そのまま続いて懇親会が行なわれた。私はイメージワークですっかり混乱していたし、そもそも大勢のひとがいる場が苦手なので、かなり疎外感を覚えながら席についていた。昨日と同じように、みんなはソツなく楽しそうに笑い合っている。

しばらくして、カウンセラー先生が近くに来られたので、私は話してみたくなった。たぶん、他のひととはうまくしゃべれないので、先生に頼る気もちが強かったのだと思う。私は先生に「やっぱり変わろうと思ったら、まず行動することですよね?」と尋ねた。

すると先生は、真顔になって「ここからは他者貢献の世界なんですよ。だから春子さんにはむずかしい」と言われた。私は大きなショックを受けた。え? むずかしいって? それだけ理由もなくいきなり言われても……自分なりに変わろうと努力してきたのに、「もうそれ以上はむずかしい」と否定されたような気がした。

「どうして私にはむずかしいのですか? やっぱり依存しているからですか?」と私はさらに訊いた。内心、自分が先生に絡みかけているなと自覚はしていた。先生はモソモソと「春子さんは長い間社会から離れているでしょ? だからむずかしい。もうこのままひとりでいるほうがいいんじゃないかな」とおっしゃった。その言葉を聞いて、とっさには反発した。それで私は「え? でもやっぱり違和感があって……」と答えた。

先生はもう何も言われず、別のひとと話し始めていた。この場で個人的な相談はもともといけないし、さすがに私もそれ以上は声を掛けなかった。しかし、さきほどの先生の言葉がアタマのなかでグルグル回り続けていた。それでは、これからもずっと引きこもりでいることを、先生は推奨されているのだろうか?

しばらくじっと考えていると気もちも落ち着いてきた。すると、先生が言われた「このままひとりでいるほうがいいんじゃないかな」という言葉に、ホッと救われていた。そうか、やっぱり先生は私のキャパの少なさをよくおわかりなんだ。ふつうのヒトのように社会と関わることが、私には困難だとわかっているんだ。

たぶん先生は、ある程度力のあるヒトに対しては、きっと引きこもりから抜け出すことを勧めるだろう。私に対しても「コイツは抜け出せるかな? そうできれば本人の成長につながるわけだけど、でもコイツにその力量はあるかな?」と考えてくれたはずだ。そうして考えてくださった結果、「春子さんにはむずかしい」とあえて言ってくださったのだ。

そうか、私はこれからも引きこもりでいいのか。それは、自分でも望んでいたことだし、きちんと先生に言っていただけて安心した。と同時に、先生の深い思いやりを感じた。なぜなら「引きこもり続行でいいですよ」とは、なかなか容易に言えないものだろうから。

「春子さんが人並みにがんばるのはしんどいでしょう? だからそんなにがんばらなくていいんですよ。もうなにもしないでいいんですよ」きっと先生は、そう思っているのではないか?

そうしたら、急に不思議な思いが湧いてきた。あ、私は前にもこういう思いやりを感じたことがある! 確かにある!

それは、母のことだった。母が私に対してかけてくれた思いだった。母は、生い立ちが不幸だったこともあって、表立ってコドモにやさしく接することができないひとだった。いつも怒鳴ったりわめいたり、激しく叱り飛ばすことしかできないひとだった。

けれども、いまなぜか、母の本心はコドモをかわいがっていて、コドモに無理強いなどさせたくないという思いに満ちていたんだと悟った。母は一度もそんな様子を見せたことがないけど、どういうわけだか「本当の母」はコドモに無償の愛を注いでいるんじゃないかと思ったのだ。

あの怒鳴り散らしている母は「仮の姿」で、「本当の姿」に私が気づいていなかっただけなんだ。なぜかそんな気がした。そして、母もまた、私の弱さをよくわかってくれていて、言葉には出さなかったけれど、「春子ちゃんはもうがんばらなくていいよ。ピアノを弾けなくても、勉強ができなくても、元気でいてくれたらそれだけでいいよ」と心の奥底ではそう思ってくれていたと、いまになってはじめてわかった。

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