遠出は疲れるけれど、与えてもらえるものも多い

夜行バスで帰ったので、昨日の朝、地元近くの都市に着いた。そこからまだ電車を乗り継いでウチまで帰る。クソ田舎は好きなんだけど不便じゃのう。で、昨日も長々と昼寝をしたにもかかわらず、今日もまだぼーっとしている。

どうも一度外出すると、そのあと2、3日は疲れてしまって何もできない。まあ、外出がなくてもダラダラしているから、食っちゃ寝の日課は変わらないのだが、やっぱりしんどいなあ。年々体力も気力もおとろえていく。

以前はフルタイムで働きながら、毎週金曜日の夜に出発して山に登り、日曜の夜か月曜早朝に帰って来て、そのまま会社へ向かっても平気だったんだがね。ああ、もうすっかり年寄りじみた昔話じゃん。思い返すと、山だって行きたいときにバンバン登っておいて正解だった。なんでも「やりたい!」と思ったときがベストなタイミング。

それなら、いまごろになってからでもWebデザイン(求職者支援訓練)をやってみるのも、それなりに意味のあるタイミングなのかもしれない。これ以上トシを取ると、もう絶対に合格できないと思ってあわてて申し込んだけど、まあよかったかな。

さて、心理学講座の効果はめざましく、さらに「憑きものが落ちた」感じが顕著だ。O先生は「すぐに変化は現われませんよ。漢方薬のように徐々に効いてきます」と言われていたが、いやいや、もっと即効性があるよなあ。

もっとも実感できるのは「解放感」。いままで拘束されていたものから、パンッと一気に解き放たれたような感覚。ふう、ラクになったなあという感じだ。そうすると、アレ? なんでこれまであんな思い込みにしがみついていたんだろう?と不思議に思えてくる。

いったん抜けると、以前の状態がどんなものだったか客観視できる。けれども、渦中にいるときは「抜けたあとの感覚」を予測できないんだよねえ。だから、抜けてみないとわからない。そういう「抜け感」を何度か味わってきたが、まだまだこれから先も「抜けるべきモロモロ」があるにちがいない。

それで「どうやったら抜けられるか?」というと、これはもう「すでに抜けたひとに会うこと」がいちばんの近道とわかってきた。つまり、このひと!と思える師に会いに行くことだ。そうそう「先達」(せんだつ)というよね。山で修行するときに導いてくれる山伏や長老を「先達」というけど、まさにそれだね。

「先達」の話を聞いていると、もちろん「言葉・動作」によって伝授してもらえるものがある。ただ、案外それよりも大きく伝わってくるのは「潜在意識」同士のやりとりではないかなあと感じる。先生の潜在意識と受講生の潜在意識が呼応し合って、伝わってくるものがあるように思える。

ああ、だんだんアヤしくなってきたけど、私はスピスピ系は苦手だ。でも、自分にどういう先生が合っているかは、それこそ私の潜在意識が自動判定してくれるので、まあ好みの先生のところに行けばまったく問題ない。

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