ふと上司のことを思い出した。
もうやめた会社の上司のことだ。
去年12月から今年5月までかろうじて勤めたが、その上司の指示のみで仕事をする、ちょっと変わったパートだった。
私より2才年上のそのひとは、たいへんにエネルギッシュで仕事をこよなく愛していた。
週に1、2度遠方の出張を日帰りでこなしつつ、日々の業務もみっちり消化し、さらに休日もたびたび出勤していた。
なによりも感心したのは、それらの仕事を本当に好きでたまらないからやっていることだった。
私への指示の合い間でも、説明しながら「うん、コレはおもしろいだろう?」と喜色満面だったり、自分が仕事に取り組んでいる最中でも、「お! スゴい、すばらしい!」と突然大声を出したり、しまいには立ち上がって軽くステップを踏んで部屋中練り歩いたりしていた。
隣室の若いひとが私に「〇〇さん、いいコトがあると踊るでしょ?」とコソッとささやいたことがある。
「そうそう、踊りますねえ」「しあわせなひとですよね、仕事があんなに好きで」
それほどまでに仕事が好きだった上司は、たまたまやとったパートのおばちゃんでも、きっとこの仕事が好きになるだろうと決めつけているようだった。
う~ん、まあねえ、補助的な仕事にすぎないのだけれど、たしかにおもしろいものではあった。
しかし、私には内容が高度すぎた。
はじめて見る資料ばかりだし、専門用語がびっしり、英語もどっさり、しかも期限があり責任の重い仕事ばかりだ。
自己肯定感が低い私は、例によって上司に認めてもらいたいという思いが強かったので、さいしょのうちはサービス労働をして無休でがんばっていた。
けれども、しばらくしたらあえなく燃え尽きて、こりゃあかん、もうやめまっさ、とケツを割ってしまった。
結果として上司にも迷惑をかけてしまったし、自分が間欠泉みたいな猿芝居ばかりやっているので、この会社のことはあまり思い出したくなかった。
今日ひさびさに上司のことを思い出したが、あんなに楽しそうに仕事をしていたよねえと懐かしかった。
ああそうだ、好きな仕事はこんなにも生き生きと楽しくできるんだよと教えてくれたのかもしれない。
職場の様子もだんだんよみがえってきた。機械の運転音も思い出す。
思いかえせば、上司からは叱責もされたがきちんとホメてくれることもあったし、周りのひとたちもよくねぎらってくれた。
ごくみじかいあいだだったけれども、きっとみんなは私のことを受け入れてくれてたんだ。
せっかくそう思ってくれているのに、ならば退職したことを「挫折」と思わないほうがいいかもしれない。
退職の日には花束を用意してくれていたことを思い出した。
そうだね、これからは「卒業」と思うことにしよう。
きっといまこの瞬間も、上司は自分の夢を追い続けているにちがいない。
上司は身をもって、「本来の自分」を生きるすばらしさを示してくれた。
私も、もっと自分が輝けるなにかを見つけたい。
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