北海道を放浪するということは、6月にふと思いついた。
その前の月、5月22日にパートをやめてしばらくブラブラしていたが、ヘッセの「車輪の下」を読んでいて作中の自然描写がすばらしかったので、あ、北海道の景色を思うぞんぶん見たいなあと思ったのがきっかけだった。
べつに「車輪の下」でなくてもよくて、なにかしらうつくしい自然を思い起こさせるものに触れたなら、そのときの私はすぐにでも北海道へ行きたくなっただろう。
北海道へはむかし山登りで数回行っており、そのときの並はずれて雄大なながめが忘れられず、いつかはもういちど行きたいと思い続けていた。
その望みがかなって、今回は2ヵ月半ほど北海道をあてどもなくさまようことができた。
7月と9月は好天にもめぐまれて、どの地を踏んでも絶景と青空を堪能させてもらった。
では、北海道の思い出でもっとも心に残ったものはなんだろう?
それは意外にも風景ではなかった。
それは、「北のアルプ美術館」に展示してあった尾崎喜八の「お花畠」という詩だった。
お花畠
いちばん楽しかった時を考えると、
髙山の花のあいだで暮した
あの透明な美酒のような幸福の
夏の幾日がおもわれる。
「あの透明な美酒のような幸福」に打ちのめされてしまった。
その「幸福」を、私もたしかに知っていた。
ほんとうにね、山のなかで味わえるあの幸福以上のものはなにもなくて、それだけでいいんだよね。
山のなかで憩うだけで、すべて満たされてしまうのだ。
だから、やっぱり私は山に還るのがいちばんしあわせなんだとわかった。
むかしのようにガシガシ登れなくても、山の香りがするところへ行くだけでいい。
つまり、私のライフワークは「山」ということでほぼちがいないとわかったのだ。
ようやく「自分探し」は終了だ。
そうと定まったら、少しでも「山に近づく」手だてを考えよう。
ええと、歩けないといかんなあ。
長いあいだ歩くことから遠ざかっていたので、足腰がすっかりおとろえてしまった。
しかし、いつまでも歩けん歩けんとグチをこぼしていてもはじまらないので、今日はやっとウォーキングに出かけた。
近所を30分ほど歩いてみたら、とても気もちよかった。
たまたま午前中に、さわやかですがすがしい読みものにめぐまれたこともあって、よけいに楽しかった。
そして、この延長上にきっと「山」があるのだろうと思えてしかたがなかった。