私の「感情」が欲していたもの

月曜日と木曜日は「休養日」と決めたので、今日は勉強しない日だ。
コワーキングスペースにも行かない。

じゃあ部屋の片付けとか不要パソコンの処分とかやれたらいいのだが、その気になれない。
朝は8時に起きられるようになったが、ぼーっとネットをさまよっているうちに午後1時になってしまった。

片付けができたらいいなあと思っていても、まったく「その気」は湧いてこない。
で、以前カウンセラー先生がメルマガで配信していた「片付けと『その気』の関係」を思い出した。

「片付けたい」というのは思考であり、「アタマ」が考えていることである。
いっぽう「その気になれない」というのは「感情」である。

さて、心理学では「感情」と「アタマ」の比率は「95対5」だとよく言われている。
だから「アタマ」でなんぼ「片付けたい!」と考えていても、「感情」がそれを拒否していたらぜったいに動けないわけだ。

95のパワーを持っている「感情」を、たった5しかない「アタマ」ではとうてい動かすことができない。
そういうときは、すなおに「感情」をみとめてあげて、まあべつにやらなくてよろしい。

だから、引きつづきぼーっとして、ころあいを見てとりあえずクルマに乗ってみた。
おもしろいことに、クルマにさえたどりつけば、必ず動くことができる。

座席にすわるやいなや、さあどこに行こうかな?という期待がムクムクふくらんでくる。
ついさっきまでピクリとも反応しなかった「感情」がどういうわけか生き生きと目覚める。

私はやっぱりクルマが好きなんだねえ。
アクセルを踏むだけでどこにでも移動できるし、雨風も暑さ寒さも人目もさえぎってくれる。

たまたま現代に生まれて、魔法のような機械をあやつる僥倖にあずかって、もしかしたら私の人生はクルマだけで十分なのかもしれないとまで思った。

で、しばらくトロトロ走りつづけて、また二上山のふもとに行きついた。
もう4時半をまわっていたので、大きな駐車場には3台しか停まっていなかった。

ひっそりとした駐車場を横切りながら、あのニワトリを探したけれど見当たらない。
ぼちぼち遊歩道を歩きはじめたら、ひとりの男性が下山してきた。

ひとのよさそうな笑顔で「いまからなの? もうひとり、女性が上にいたよ」と気さくに声をかけてくれる。
私はお礼を言って「とちゅうまで少し行ってきます」とこたえた。
地元のひとたちが散歩のように毎日登る低山だから、ここにいるとみんな知り合いみたいになれる。

いまごろは何時に日が暮れるのかな? ぜんぜんわからない。
ヘッドランプを持ってきていないので、まあ本当にちょっとだけ登ってすぐに降りよう。

▼15分だけ歩いて、ふたつめのあずまやのところに来た。

ここでおとなしく引き返す。
おどろいたことに、一週間まえとくらべて登りも下りもずいぶんラクに歩けた。
私の筋肉は、本人もまったく知らないうちに、どんどん変化している。

往復30分ほど、ほんの少しだけのウォーキングだったが、山の空気を吸えただけで満足する。

クルマでゆるゆる移動して、ちょっと登って降りてくる。
紅葉の進み具合をながめて、虫の声を聞く。
私の「感情」はそれだけを望んでいたんだね。

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