「本来の自分」は「あの透明な美酒のような幸福」を知っている

「本来の自分」とはいったいどんなものだろうか?

ヒトはだれかと接しているときは、必ず「役割」を演じている。仕事としての役割もあるし、家庭においての役割もある。友だちと会うにしても相手に応じて役割を変えることもあるし、雑踏の中で演じる役割もある。

では、たったひとりで過ごしているときは「本来の自分」に戻っているのだろうか?
じつはひとりきりでいるからといって、それが「本来の自分」であるとは限らない。ひとりでリラックスしているときは「素の自分」と言えるだろう。
しかし、それだけでは「本来の自分」を生きていることにはならない。

私は、カウンセラー先生が「『本来の自分』がどういうものか?」を具体的に説明されるのを今回はじめて聴いた。
先生「『本来の自分』というのは、喜びそのものなんです。愛に満ちあふれています。感謝しかありません。そして平和です。それが本来の自分を生きているひとの姿です。こうなると、さまざまなひとが応援してくれるようになります」

そのことばを聴いたとき、私はやっぱりそうなんだと愕然とした。そして、私は「それ」をまちがいなく知っていた。

「それ」は、私が山にいるときに感じる喜びとまったく同質のものだったからだ。
私が「自然」から与えてもらうものは、まさに喜びそのものであり、ふりそそぐ陽の光は無尽蔵の愛そのものであり、あまりのうつくしさにひれ伏したくなるほど感謝の念でいっぱいになるからだ。

ふくいくと香るような至福のよろこびにつつまれているうちに、外界と自分の境界すらあいまいになり、忘我の境地にいたる「そのこと」だ。

それは、山を愛するひとならだれもが知っている。
詩人の尾崎喜八は、それを「あの透明な美酒のような幸福」と呼んだ。

先生のことばを聴いて、私はますます自分のライフワークが「山」であることを強く確信した。

受講生のなかには、まだライフワークを決めかねているひとも多かった。私はたまたま運がよかったに過ぎない。
うれしさはこみ上げてきたけれども、その場ではひっそりひとりでよろこびをかみしめていた。

先生が言われた「だれかが応援してくれる」ということにも心を打たれた。
それは、このブログの読者さんの存在だ。見ず知らずの多くのかたが、いつも私を応援してくれている。

ランキングクリックの数字を見ると、ほんとうのことかどうかまだ信じられないけれど、いや、これはすなおに受け取らせてもらおう。
多くのひとが、私が「本来の自分」を生きられるようにと思ってくれているのだ。愛を贈ってくれているのだ。
ほんとうに感謝しています。ありがとう。

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応援してもらえたらとってもうれしいです。