「本来の自分」につながるのに必要な「ラク」と、単に逃げているだけの「ラク」の見分けかた

「ものすごくがんばるヒト」とか「ものすごくキチンとしているヒト」いうのは、じつは他人軸で生きている場合がある。
他人からどう見られるか?を気にしていて、だからすごくがんばって、すごくキチンとして、自分の限界をはるかに超えてがんばってしまう。

そういうヒトは「なにもしない自分は価値がない」と思っている。がんばらない自分やキチンとしていない自分は、なんの値打ちもないという深い無価値感をかかえている。
けれどもどんなにがんばっても「自分はゼロ」だと思い込んでいるから、ゼロにどれだけ数字をかけてもゼロのまま。やってもやっても「まだ足りない」という焦燥にかられてしまう。

そうこうしているうちに、お決まりの強制終了がやってくる。病気になったりウツになったりしてホントウになにもできなくなってしまう。
そこで気がつく。あれ? 私の生きかたってなにかまちがっていたのか? あんなにがんばったのにどうしてこうなったのか?

そういうヒトたちがネットをさまよううちに、カウンセラーのサイトを見つけて、カウンセリングやセミナーに吸い込まれていく。
私もそのひとりなんだが、そういうところへ行くとまずいちばんはじめに「がんばらない。がんばるのをやめよう。いやなことはやめよう。好きなことだけしよう」と言い含められる。

で、しばらく数年間ほどソレばっかりお題目のようにとなえて、理屈はともかく、ただ「がんばらない」をやっていると徐々に回復してくる。
私も忠実に「がんばらないこと」をむっちゃがんばった?ので、ありえないほどユルユルダラダラになった。

ただ、最近ではそれが度を越しているようだ。めんどくさいことはいっさいやらなくなったので、部屋も荒れ放題でエラいことになっている。
でも、フロもめんどーだしメシもめんどーだし洗濯もめんどーだ。

それに連動して、せっかく目標を立てても行動する気がまったく湧いてこない。しんどいからなにもやらない。

さすがにこれじゃあかんのうと思って、ライフワーク・セミナーでの質疑応答のときにカウンセラー先生に質問した。
「『ラクをしたい』という気もちにはどう対処したらいいですか?
たぶん『有益なラク』と『欲に流されてのラク』のふたつがあると思います。それを見きわめるにはどうしたらいいでしょうか?」

先生「それはね、その『ラク』をしたときにどんな感情になるか?で区別できます。
もし、しあわせな気分、満たされた気もち、心地よさ、善い状態になれたとしたら、その『ラク』は『本来の自分』につながるために必要な正しい安楽なんです」

「けれども、その『ラク』をやってみて、もし罪悪感をおぼえるようならば、その『ラク』は『痛み止めの注射』かもしれません。
向き合わないといけないことから逃げているだけかもしれない。そうすると単に『ラク』なほうに流されているだけで、根本的な解決にはなりません」

「それに、疲れているときは流されるんです。だから『ラクしたいなあ』と思うときは、まず休むことが大切。
それから、『本来の自分』につながるための『ラク』であっても、それを自分に強く禁止している場合もあります。
これまでイバラの道を歩いてきたヒトがそうですね。そんなヒトはできるだけ『ラク』なほうに流れたほうがいいんです」

「まあ、その『ラク』をするかどうかの判断ってけっこうむずかしいんですよ。
だから、トライアンドエラーを繰り返してください。やってみて、自分がどんな気もちになるか観察して、つぎはこうしようとまたやってみる。その繰り返しでだんだんわかってきます」

なるほどー! うんうん、すごくよくわかった。
「本来の自分」につながっている「ラク」って、すごくよくイメージが湧いてくるなあ。

私の場合、うつくしい山の稜線に心をうばわれているあの状態がそうだから、そうか、あんな気分になれるものだったら「正しいラク」なんだな!
それでいけば、メシフロ洗濯がいやだと、ウダウダダラダラしているのはまったく意味がないな。

めんどくさいからといって、ホンマ逃げていて、ネットばっかしやっているのはやっぱりあかんかった。
自分の生活をある程度ととのえておかないと、気もちよく山へも向かえない。

「あの透明な美酒のような幸福」にひたるために、これからは少しずつ身辺をきれいにしていこう。

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