これまでずっと迷ってばかりの人生だったが、57才の手前でようやくどう生きたらいいのかがわかってきた。
それは、ごくすなおに「好きなことをやればいい」だけだった。
その好きなことをやるために、ちっとはお金もいるだろうから少しは働くけど、まあ必要最低限でいいわけで、なにも「働くこと」を人生のメインにしなくてよかったのだ。
コレなんだよなあ、私が大きく誤解していたのは!
なんかねえ、高校生ぐらいのときから「ヒトは必ず働かないといけない。そして、その仕事が生きがいにならないといけない。社会の役に立って、周りから評価されないといけない。両親に認めてもらわないといけない」と非常に固く思い込んでいた。
ホントにそうとしか思えなくて、去年までずっとそう考えて生きてきた。
でも、そうじゃなかったんだよね。
カウンセラー先生が「ライフワークがお金にならないヒトもいる」と言うのを聞いて、だんだん自分のホンネに気づきはじめた。趣味やボランティアがライフワークのヒトは、それではお金をかせげなくて、べつにライスワーク(適職)が必要ですよという考えかただ。
そして、自分のココロの奥底をよくよく観察してみたら、私は働くのがキラいだとわかった。
ホントに好きなことは、山、放浪、クルマとかぜんぜんお金にならないことばかりだった。じゃあ、なにかしらライスワークが必要だね。
で、「仕事」の定義が180度変化した。
べつに単なるメシの種にすぎないから、キラいでいいんだ。やりたくなくてかまわないんだ。バレへんように手を抜いてもかまへん。周りからクソミソにけなされてもええねん。ただ、ちょびっとだけ感謝してたらいい。その仕事のおかげで山へ行けるんだから。
まあ、いまごろになって気がついたけど「仕事が大キラい」というのがホンネなのに、それを恐ろしくカン違いして「仕事を生きがいにしよう」なんて方向に進もうとしていたから、これまでの仕事がことごとくウマく行かなかったわけだ。そりゃ当然だよなあ。
これから就職するにあたって、この自分のホンネはいつも忘れないでおこう。キラいなものをうっかり好きだとゴマかさないでおこう。
仕事がキラいでちっともかまわないから、文句ばかり言ってイヤイヤ働こう。そんなにイヤな仕事をやってる自分をホメてあげよう。
それで、あらためて気がついたけど、「仕事と自分の距離」が離れてきた。具体的には「仕事に期待しなくなった」。
給料だけもらえたらええやんかと割り切れるようになってきた。
こういう感覚ははじめてのことで、でも、この「期待せえへん」っつー感じはなんかよさそうだ。つまり、こんど就職した先で、ミョーなヤツがおったとしても、ああそういうこともおまっしゃろ、理不尽な扱いを受けても、ああそうかで受け流せるかもしれん。
よしっ! コレでいったろ。「期待せえへん」や。コレも今年の抱負に追加しとこ。
で、大いに期待したらよろしいのが山で、今日も二上山へ行ってきた。
▼しかし、まだ頂上まではムリで、展望台の少し手前で引き返す。三歩進んで二歩下がってばかりだ。
中学生ぐらいのガキンチョ数人が、急坂をダダダーッと駆け下っていく。アヤツらは、ヒザ関節の存在すらアタマにのぼらへんのや。うらやましいのう。
そういえば、私でも三十代は足の痛みなんて感じたことがなかった。そうそう、下りは走ったこともあったわなあ。
うん、でも「いま」を生きよう。いまの私は、後ろ向きでヨチヨチ下るのがせいいっぱいだ。
▼ゆっくりしか歩けないが、景色のうつくしさもじっくり味わえる。今日は日差しがきれいだね。
往復で1時間ちょっと。これだけ歩くと汗ばむほどカラダがあたたまる。足取りもしっかりしてくる。山の空気のおかげで気分も爽快だ。
で、明日の午後はパートの面接だ。車検やガソリン代のために、がんばってハッタリかましたろ。