「いまできること」だけ見つめる

いい天気にめぐまれて、今日もまた二上山へ。
抜けるような青空がうれしくて、景色よりも空ばかり見上げてしまう。

▼「しあわせとはなにか?」と訊かれたら、「万葉広場」ととりあえず答えていいだろう。
20190130-1-二上山_万葉広場▼遊歩道がツバキのトンネルになっている。
20190130二上山 (2)雌岳山頂手前▼雌岳山頂は、今日も大にぎわい。お天気がいいのでぞくぞくと登ってくる。
20190130二上山 (3)雌岳山頂
無事に山頂往復できたので、満足して帰ってきた。
それにしても、今日はずいぶんラクに歩けたような気がする。

昨日に登っていると、それだけで筋肉がついているようで、今日はグンとちがう。
逆に、昨日は6日ぶりに歩いたので、けっこうしんどかったのだ。

毎日登ると、こんなにもちがいがあるのか!とあらためてびっくりした。
それに筋肉は、使うとただちに反応するねえ。脳ミソはこうはいかん。筋肉だけは、使えば使うほど必ず発達する。

で、いい気分になって、ウチに帰ってからは雑用を片づけていたけれど、はあ、効果は長つづきしなかった。
足腰はともかく、「気力」はつづかなかったのだ。夕方にもなれば、だんだん疲れてきてぼーっとしてしまう。

そうなんだ。いくらカラダをきたえても、やっぱりトシなんだよね。むかしには戻れない。

今年の春には57才になるけれど、やはりそれ相応のおとろえがあるんだよね。
一時的に気力がみなぎることがあっても、それはつづかない。シューッとしぼんで、またカスミがかかってしまう。

もうボヤーッとしているのがふつうなんだ。ごくたまにしかシャンとしないんだ。
それが「いまの自分」なんだけど、う~ん、まだ認めたくなかったなあ。

いやいや、カラダもココロも、むかしといまではちがうんだ。
だから、「過去への執着」を手放さないといけない。私はソレができていなかった。

年を重ねた「いまのカラダとココロ」でできることを模索しないといけない。

どこかで見かけたけど「老いるとは、徐々に障害者になることだ」と書いてあった。
そうだよね、これからだんだんとハンディキャップが増えていくいっぽうなんだよね。

けれども、「いまできること」にフォーカスしたらいいと思っている。
「できないこと」はスルーしよう。それはなにか意味があってできなくなったんだろうから、考えなくていい。

そうではなく、「できること」は恵みだから、そこだけ見ていたらいいと思う。
だから、今日晴天のもとで二上山に登れて、昨日よりもラクだったなあと感動した想いだけを大切にすることにした。

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