今日もシフトがない。それでは、二上山に出勤しよう。
これだけひんぱんに通っていると、さすがの私でも道をおぼえていて、このごろはナビのねーちゃんがいなくてもたどりつける。
朝方まで雨が降っており、登りはじめもまだ曇っていた。厚い雲が垂れこめているし平日だし、ほとんどヒトがいない遊歩道を黙々と歩く。
▼「万葉広場」から虹が少し見えた。ほんのちょびっとだけ。
▼雄岳への登りで晴れ間があった。でも、このときだけ。
▼雄岳山頂、葛木二上神社。日差しがないとわびしい。
登りも下りも雨に降られなかったが、クルマで帰るとちゅうで小雨になった。車中で雨になると、少しうれしい。
私がクルマに乗り出したのは40才のときで、それまでは長いあいだ電車やバスで山登りをしていた。
クルマがないと雨のときはいっそうタイヘンだった。なので、いまだにクルマがあって助かるなあとしみじみ思うんだよね。
さて、今日の本題は「やる気」について。
私は非常にやる気がとぼしいダメなヤツで、生活全般および仕事に対して、まったくひとかけらもやる気が出ない。
放っておくと、ありとあらゆることがストップしてしまう。風呂に入れない、洗濯ができない、掃除ができない、どうかするとメシも食えない。
最低限のことはやらへんと生きていけないので、自分でも困ってしまうが、できることといったらせいぜいネットで「やる気が出ない」と検索するぐらいだ。
定番の回答としては「やりはじめてみる」というのがある。
少しでもやってみれば、脳の状態が「作業興奮」になり、いつのまにかできるようになるというものだ。
ソレはむかしから聞いたことがある。
でもなあ、その「やりはじめ」がぜんっぜんできないんじゃよ。イスに座ったまま動けない。立つことすらできない。
ところが、アマゾンでやる気関連の本をあれこれしらべているうちに、自分で、アレ? もしかしてこうしたらいいかもねと気づいたことがある。
それは「行動を細分化して自分に指示してみる」ということだ。
なにせ「やる気は待っていても出ない」らしいから、まずは動かないといけない。
風呂に入るためのやる気は、何日待っても出てこないが、とりあえず「立ち上がる」ということを自分に指令してみる。
はい、立ったよ。すげえ、立てたよ!
つぎは、湯沸かし器の温度を41度に設定する。はい、できました。
そうして、服を脱ぐという指示を出す、……という具合に、風呂に入るまでの行動をバラバラにして、ひとつずつ自分に指示していくと、なんとまあ、この私が風呂に入ることができてしまった!
「風呂に入る」という複雑なミッションをポンと与えられると、私の脳ミソはオーバーヒートするんだよね。あまりに難易度が高すぎて、やる気がゼロになってしまう。
ところが、その行為をこまかく分けて、ひとつずつやっていったらできてしまったのだ。
まあね、とにかくすっぽんぽんになって風呂場に行くことができたら、作業興奮もヘチマもなく、そりゃあ風呂に入れるわけだけど、そこに行きつくまでが想像を絶するほどめんどくさくて、だから私はせいぜい週にいちどしか風呂に入られへん。
けれども、この「かんたんな行動にわけて、自分に指示を出す」というやりかたなら、ひとつひとつのハードルがかなり低いので、そんなに抵抗なく行動できる。
スマートスピーカーに話しかけるがごとく、「ほれ、立ち上がってみぃ」とつぶやくと、そのぐらいならかろうじてできる。
その調子で、今日は洗濯までできてしまった。そして2年ぶりにトイレの床をそうじした! まるで奇跡のようだ。
あらためてわかったけど、ほんのちょっとでも複雑な動作だと「めんどくさい」という感情がワッと押し寄せてくる。
どのぐらいで「複雑」と思うのかは、きっとヒトによってちがいがあるのだろうが、私の場合はほぼすべてのことが「複雑」に思えてしまう。
だから、「複雑だ→めんどくさい→まったくやる気になれない」というワンパターンにおちいってしまうのだ。
結局、「やる気が出ない」のが問題ではなかった。
私の脳ミソが極端なシングルタスク仕様なので、少しでも「複雑」に見えることはめんどくさくなり、その結果手も足も出なくなるというのが問題の本質だった。
そうとわかれば、これからはとにかく「かんたんな要素に分解」すればいい。
オノレの脳ミソが理解できるように、すべてバラバラにかんたんにして分けて与えるようにしよう。
って、まるで介護の「きざみ食」みたいだね。はあ。