友だちの縁も異なもの

もともと私はあらゆる面でワガママだ。好き嫌いやこだわりがとても強い。

なので、人付き合いもそこらへんの歩み寄りとかがまったくできず、長年友だちがいなかった。
もちろん、私自身がこんな程度の人間だからだれも相手にしてくれなかったというのも事実だろう。

ただ、まったくのホンネでは、結局私にとって魅力的なヒトがいなかったというのが実感だ。

友だちは欲しかったので、心理学セミナーではいつも探していた。セミナーに出席しているヒトたちは、カウンセラー先生のファンで来ているヒトが大半で、ベースを共有しているから親しくなりやすいはずだった。

けれども、私がいいなと思えるヒトはいなかった。気を使って話しかけてくれるヒトは何人かいたけれど、私が好きになれなかった。
こんなにおおぜいのヒトと会っているのに、だれとも仲良くしようと思えない自分がオカしいとまで思っていた。

しかし、Kさんに出会ってからは、ああ、自分はまちがっていなかったとようやく安心した。
私は、なにかやりたいことを明確に持っているひとが好きなんだ。感性や表現力がすぐれたひとに惹かれるんだ。思いやりがあって謙虚で思慮深いひとでないとダメなんだ。

そして、自分のことを棚に上げて、そういうヒトと友だちになってもらっても、べつにかまわないんだとやっとホッとした。

そのKさんとひさしぶりにいっしょに過ごしたが、あまりにも楽しすぎた。
彼女は才にあふれたスゴいヒトだというのに、ユーモアもたっぷり持ち合わせているので、私は涙が出るほど笑いころげた。

Kさんが、これから新しいフェーズに向かうというよろこばしい知らせもあったので、ますますうれしくてしかたがなかった。
それなのに、Kさんは「期待はしていないの」と淡々としている。その抑制の効いたところもKさんらしくて、また感心した。

そうそう、私は抑制的なひとも好きなのだ。内に熱いものを秘めているのに、理性で制御するひとに惹かれる。ピアニストB氏の演奏のように。

Kさんは音楽にもくわしいので、とくにポップスのいい曲をいつも教えてもらえる。
そして今日は、「音楽聴いて泣くことある?」「あるある」「泣けるよねえ」「そうそう、音楽でしか表現できないものがあるね」「だから数万人のひとを感動させることができるね」などと話していて、なんかそういう気もちを分かち合えること自体に、私はまたちょっと茫然としてしまった。

いつもそうだけど、Kさんは相手の気もちにそっと寄り添ってくれる。いつも味方になってくれる。いちばん言ってほしいことばを静かに語ってくれる。
そういうことに慣れていない私は、戸惑いともったいなさを感じてぎこちなくなってしまう。

このトシになっても、ちゃんと出会いってあるんだね。ヒトとの出会いだってちっとも妥協しないでかまわないんだ。
自分が本当に好きと思えるヒトとだけ付き合ったらいいんだね。

さて、こんなにも魅力的なヒトと友だちになると、お約束の他人軸になってしまう。
若くてきれいなKさんが、どうして私のようなオバハンの相手をしてくれるのだろうと不安になる。

でも、それはKさんが決めることだ。私にどうこうできるものではない。私にできることは、Kさんの未来を祈ることだけだ。

そして、いまKさんが私に与えてくれるものを感謝して受け取ろう。
それでどうする?
いや、私もKさんのように向上心を持ってライフワークを生きたいのだ。

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